ガイアの夜明け 感想

『異端児日本の危機に立ち向かう!(20周年企画第5弾)』【今日の「ガイアの夜明け」感想】

今日のガイアを3行で

  • 異端児について追いかけていました。
  • 山本のハンバーグの創業者は新たな人気店を作りあげていました
  • 日本のレアメタル王がウクライナ侵攻を受けて立ちあがりました

※この記事はガイアの夜明けを見ながら自分のメモ書き的な感じで書いている記事です。放送内容を引用してます

挽肉と米

東京吉祥寺8:30。行列が出来ていました。
皆が並んでいたのは挽肉と米という店

並んでいた人たちの目的は、お店に入れる整理券でした。

挽肉と米という店はネット、電話予約は受け付けていません。
整理券を受け取りに来なければ行けません。
これは近所の人に来て貰いたいからと言う思いからでした。

ただ中には千葉県から来るような人もいました。
そりゃそうですが。

6時過ぎに家を出た人もいましたが。
入れるのは11:05から。
その間の予定もしっかり固めて気合いを入れてきている人が多いようでした。

11時5分入店開始

食券を買いますがメニューは挽肉と米だけです。
1500円です。高いなぁ。

ご飯の上にハンバーグが乗っていました。

挽肉と米は3タテ「挽き立て、炊きたて、焼きたて」

挽肉と米の重要な3タテ

挽き立て

国産牛100%の肉を毎朝店内でその日使う分だけ挽いて使います。

炊きたて

羽釜を使用して時間をずらして炊いています。
おかわり自由だそうです。

焼きたて

ハンバーグを炭火焼きしちて最適な時間で提供します。
強火で一気に焼いてから後は中火でじっくり。
中まで火を通してベストタイミングで提供するというスタイル。
ハンバーグ1個は90グラムと小さめですが3個まで食べれます。
それは常に焼きたてを提供する為。

柔らかくて美味しいそうですよ。

1個目はそのまま食べるのがお薦めだそうですが。
薬味が6種類用意されていて味変も楽しめます

更に生卵1つは無料という事です。

挽肉と米は吉祥寺と渋谷の2店舗あるそうです

ライブ感ある店舗作り
食の体験がコロナ禍でも人気を集めています。

ハンバーグのエンターテインメント

食べた人に話を聞いていましたが大満足していました。
1回いけば満足しそうだなぁとは見ていて思いましたが…

この繁盛店を作ったのは厨房に立つ山本氏40歳
短パンにサンダル…という何とも言えないスタイルで厨房にいました。
大丈夫かと思いましたが。
挽肉と米は2021年に外食アワードを受賞するほど。

この成功を受けてご飯の上にハンバーグというスタイルの店が増えているそうです。
パクリ合戦ですね。

山本氏

コロナだから行かない方が良いとかネガティブな要素はあるが
コロナだけど行きたいとかその店に行きたいという思いが強ければ
ネガティブの森を越えていく。
本質的には自分たちがいかに良い店を作るかに尽きる

そりゃそうですね。
ちなみのこの山本氏ガイアは17年前に目撃していたそうです。

下剋上 外食サバイバル(2005年6月)にその様子が放送れていたようです。
私はまだ記事書いていない頃だったので残念。
記録と記憶がありませんでした。

2005年の記録には退職届を出している山本氏がいました

会社の方針として個人企業主としてやる気を引き出すという独立支援制度を使い自分で店を出す決断をしたシーンでした。

直属の上司も

やりたいことやる人間は進歩する。やらされている人間と進歩の度合いが違う

と語っていました。

そうそうに店の名前を決めていた山本氏。

俺のハンバーグ山本

あぁ…あの山本のハンバーグの起業者だったのかと。

インパクトのある店名に負けないハンバーグを作ろうと試行錯誤しているシーンが当時の放送で流れていました。

試行錯誤の末出来たのがチーズをたっぷり使った俺のハンバーグでした。

オープン前の決意表明で語っていたのが。

100年続く、100年愛される店を作りたい

長く愛される店を作ろうとしていました。
山本さんの店が切っ掛けとなって俺のという店が乱立しました。
ブームの火付け役だったのです。

俺のシリーズはここから始まっていたとは…。
あれから17年

山本のハンバーグ俺のが消えていた。

ブームを作ったのに何故名前変えた?

看板で来るのは1回だけ。
当時はこの名前だから客が来ると考えていたが、名前を変えても一切客の数は変わらなかった
結局は看板で来てなくて、体験が良くてまた行こうとなる

山本のハンバーグは17年で19店舗と堅実に経営。
昔も今も家族連れがターゲット

山本のハンバーグ(1860円)
マヨネーズとメレンゲを合わせたソース
中にクリーミーなチーズがたっぷりでした。

この19店に加えて挽肉と米が2店舗あります。

>1つ1つの店舗が100年続く方が格好いい
1つ1つの店を大事に地域の人に愛されながら店を長生きするように作って行きたい

そんな想いがあるようでした。

かつての上司が…

東京東小金井
合わせたい人がいると言うのでついていくと
ラーメン海老というラーメン屋さんの内海さんがいました。

山本さんこの内海さんとん出会いがなければ続かなかったそうです。

大卒後ムジャキフーズという企業に入社した山本さん。
その入った会社の当時の常務が内海常務
先ほど出て来た名言の人です。「やりたいことやる人間は進歩する」という。

その人が語ってくれます。

新卒の中で一番可能性があったのが山本君
目が違う勢いもある

山本さんには忘れられない一言がありました。

客が何を求めているのかと問われたそうですが。
若かったか「分かります」といったら分からないだろうと言われて。例えばプロのピッチャーから玉を撃てるのかと。
打てますというと打てないだろうと。
ピッチャーがここにストレートを投げるからと言われると当たるかも知れない。
たしかにと思った

一言じゃないですが。
そんな事を思ったようです。

何が作れるのかと聞いたそうですが。
ハンバーグと応えたようです。

ハンバーグが好きならハンバーグじゃないかと

そこから山本のハンバーグが生まれました。
山本さんの生き方に刺激を受けた内海さん。
独立して2021年3月ラーメン店を開業したそうです。

鹿児島に飛ぶ山本さん

7月鹿児島

山本さんが肉を仕入れている会社が営む牛舎に来ました。

清潔な環境
餌も拘っていて自家製だったりするようです。

カミチク

年商167億円、食肉加工、卸し酪農をしています。

上村会長が山本さんにあるお願いをした

ハンバーグで天文館を元気にさせることをお願い

鹿児島に山本のハンバーグを出店することになりました。

天文館は南九州一の繁華街
ここでもコロナ禍で経営が厳しく閉店が後を絶ちません。

店を開く場所もカミチク運営の飲食店だったところ。
2021年5月閉店しました。1年空き店舗です。

山本のハンバーグの19店舗目を鹿児島に出店するに当たり
地元の26歳の青年に店を任せるようです。

若い内に経験を多く出来る事はプラス
若い人にチャンスや夢を与える

期待された店長候補も「こんなチャンスがない」と語ってましたが

オープンの日
告知していないのに行列が出来てました。

目指すは地元で長く愛される店

ハンバーグ一筋17年の山本氏。

常識にとらわれず自分流で貫いてる
大企業の店の作り方とは違う。小さい店をコツコツ作る。
やりたくてやっている。好きでやっているから。
ことわざにもあるが「好きこそ物の上手なれ」
好きでやっている人のパワーには勝てない。

異端児とは

ビルゲイツやジョブズ、イーロンなど世界企業の創業者は異端児と呼ばれます。

異端児

正統派に属さず独自の活動をする人
常識にとらわれず自由奔放な人

ユニクロの柳井さん

世界を目指してやって頂きたい
日本だけで良いという人は社員にいらない

SBの孫正義氏

過去の習慣に対して立ち向かってしがらみをぶち壊そうという人が少なすぎる

等が紹介されているなかである方が。

中村繁夫氏

2004年当時は誰も知らなかったレアメタルの可能性を信じレアメタル専門商社を作った中村氏。

面白い案件があるとアドレナリンというかドーパミンがでてくるというか興奮する

世界中鉱山を駆け巡ったレアメタル王
18年前に密着していました。

宝の山を掘り当てろ(2004年10月放送)

キルギス共和国に来たレアメタル専門商社社長中村氏
採掘現場を自分の目で確かめるそうです。
崩れ落ちそうなエレベーターでキルギスの地の底に降りてました。
降りること15分
青い光の先が採掘現場でレアメタルの鉱石がありました。

日本のハイテク産業の宝と喜んでました。

物は確認出来たので値段交渉。
中村さんは勝負ネクタイを締めて商談をしてました。

「大量の取引なら安くする。少量のサンプルだけでは無理」
といわれ。
「サンプルの品質が良ければその後は毎月100トン買います」
と応じてました。

そんなこんなで中村さんの提示額で値段が決まり。
独占的に取り扱う総代理店契約を結びました。

それが日本のレアメタル王の中村流

単身で現地に乗り込み、ライバル企業に先駆けてレアメタルを調達してきました。

再開のレアメタル王

6月中旬京都18年ぶりに再開
74歳の中村さん

10年前からがんで闘病生活を送ったりしてるそうで人生観が変わったようです。
レアメタル専門商社を辞めて僧侶になっていました。
凄い転身です。
去年も1年の半分は入院生活だったとか。

ただ思いも寄らないことが起こります。

ウクライナ侵攻

戦争になったり駄目になったら皆逃げていく。
僕はそういうときに興味を持つ
最悪の時に自分でやってみたい

そうして6月30日キルギス共和国に飛んだのでした。
ウクライナ危機を受けて中村さんがキルギス共和国へ

目的は?

キレイ事ではないが日本の国益になるような仕事が今回の目的

キルギスはタングステンやアンチモンなど地下資源が豊富

国民のトレードマークは金歯
金はキルギスの全輸出学の約半分を占めてるそうで。
金は富の象徴です。

7月1日首都ビシュケク

スケジュール無しのノープランで突っ込んで来た中村氏。
かつての伝手を頼って天然資源環境技術監督省の大臣に会ってました。
アイシャー長官というそうですが。

かつて筑波大学に留学経験があり日本が好きとのこと。

日本で様々な鉱山を訪問して企業が最低限の環境負荷で鉱山開発をしてた所に感銘を受けたようです。

日本がキルギスで開発をする場合も、自然環境を守ってくれることが大事

という注文がありました。
そんな長官から持っている国営会社を紹介して貰えました。
とんとん拍子に話が進みます。

1時間後その足で紹介された会社を訪問。
フットワークが軽いです。

様々な鉱山を管理する国営会社
キルギスジオロジー
幹部一同が揃い待っていた

トップはムラトフ局長。

日本からは設備と資金の支援をもらい共同開発したいと提案。
共同でリチウム鉱山の開発だそうです。

キルギスはリチウム資源が豊富
未開発だそうです。

リチウム工場の合弁会社を作ろうという話が始まります。

我々は3日ほどキルギスいるが開発に向けた窓口とか総代理店契約を結ぶことは?

などとかなりスピーディーな展開に。

中村さんは長年の経験から釘を刺します。

中村さん
「良いことばかり言うのは良く無い。現実を話しておきたい
我々が努力して1,2,3段階いくと中国企業がこちらにくるが…」

ムラトフ局長
「中国人が恐れていることは我々が一緒にやることだ」

要するに中国人は自分たちで全部やろうとするからですよね。
現地の人を排除してALL中国でやろうとします。
それが軋轢を生んできてますからねぇ。

スピードが1番大事ということでスピードが求められていました。
たくさんの成功も失敗もしてきた中村さんでもどう言う展開になるか予想がつかないようです。

翌日も精力的に動きます。

打ち合わせをした幹部の一人が迎えにやってきた
工場見学をさせてくえっるようです。

サクサクと進んで行きます。

首都から車を走らせること4時間

目的地には驚くべき地下資源がありました。

レアメタルについて

チタン

航空機 ロケット 原発などに

コバルト

電気自動車の電池の電極

ニッケル

ステンレス 電気自動車の電池

脱炭素で電気自動車の生産が増えていますがレアメタルが多く使われてます。
そしてレアメタルが争奪戦になっています。

レアメタル産出国は一部の国に偏ってます。
ロシアアメリカ豪州…
日本には殆ど無いので輸入してます。

ウクライナ侵攻でロシアからは手に入れられなくなります。
ロシアはレアメタルで重要ポイントだったのでロシアに変わる調達ルートの確保が必要です。

キルギスも重要拠点です

中村さんの交渉

7月2日キルギス共和国
クテサイ鉱山

露天掘りが進んだ鉱山跡
昔と同じように自らの足と目で現場を見て回ってました。

1995年工場を停止している場所だそうです。
元従業員の鉱石専門家ジャヌザコフ氏も来ました。

資源豊富な鉱山ですが戦争(独ソ戦)の時に鉛だけを取り後は捨てていたそうです。
当時は必要無いと考えられていたので捨てたようです。

調べて見たら捨て場の石の中にレアアースとレアメタルが入っている事が分かったのでした。
無造作に金が転がっていたりとか凄いところでした。

中村氏は巧みな話術?で相手の懐に飛び込んでました。
相手に入り込むのが上手そうです。

そんな事をしていると情報も貰えます。
先月はロシア人が来たとか、韓国人が来たとか来るとか。

でも日本と一緒に仕事がしたいそうです。
日本の技術レベル知っている。上手く開発出来るのは唯一日本の会社

今まで得てきた信頼というのがこういう所でも生きてくるんですね。

中村さん自分の目でみて腹をくくり向かったのは地元の法律事務所

会社を設立してました。
現地法人を作りスピーディーな対応が出来るようにしたのでした。
キルギス5日目の出来事。

Win-Winになるようなシステム作りが出来るかどうか
ベースになるのは人間関係

決断力の速さが凄まじいです。

カザフスタン共和国でも…

カザフは北はロシア、東は中国に国境を接している
人口1900万人
首都ヌルスルタン
奇抜なビルが建ち並ぶので未来都市のようです。
北京ビルの隣にモスクワビル…いまのカザフの象徴。
資源豊富なカザフに対して影響力を強めたいロシアと中国の鍔迫り合いが起きてました。

日本もひっそり動いてます。

細井氏 JICA支援開発アドバイザーdさおうです。

細井氏と中村氏はアフリカ視察を共にしてきた旧知の仲。
そんな関係だそうです。


細井氏産業インフラ発展省へ。
産業政策の方針を決める重要会議に出席。
資源の絆という人材育成について紹介してました。

JICA資源の絆

資源国の役人や学生を日本に招いて日本の技術を学んでもらうもの
27ヶ国から150人が来てるそうです。
帰国後は日本の資源調達にも協力して貰ってると。
良い事業ですね。

細井氏が会議で

流動的な事は良く理解出来る(中国やロシアとの関係など)
これを機会により堅固な両国の関係を資源エネルギー分野で作りあげていきたい

と語ってました。

キルギス共和国

中村氏がキルギスの伝統音楽が流れる中宴が始まる中にいました。

国営地質会社ムラトフ局長
JICAの細井さんも来てました
カセイノフ副大臣も。

共同資源開発の覚書きを交わしてました。

一気に話が進み共にサインを交わしたのです。

日本の有力企業が一緒になって日本の国益になる事を考える

キルギス企業を日本に招く予定です。

カザフスタン共和国に戻って

中村さんがとある工場に向かいます。

肖像がありました。
世界一のチタン工場を作った人の肖像。

先代社長バグダッド氏
中村さんの人生を大きく変えた人でした。

1989年チタン工場を初訪問。
ソ連崩壊で倒産寸前でした。
社員に過ぎなかった中村さんが融資を即決3億円。
そこから息を吹き返して巨大企業になりました。

中村さんが2003年レアメタル専門の商社を設立したころでした。

立派なお墓に中村さんが。
親友の墓参りをしてました。
2013年没享年67歳だったそうです。

3億円を託したチタン工場の社長
チタン工場を大きくして莫大なチタンを日本に送ってくれました。

そういう絆がしっかりとあるというのが大きいですよね。

中村さんが長生きしてくれることを願うばかりです。

日本のレアメタル王にとって異端児とは

自分のやりたいことを信念を持って実行することかな
つまり社会性を考えるとこんなことしちゃいけないなとか思う
自分のやりたいこと、信じる道を信じることはずっと一緒。
自分が出来る事好きな事を達成すること

と締めくくられていました

まとめ

日本のレアメタル王のキルギスとの絆が日本の国益となる事を願うばかり。
これを見た中国とか韓国とかロシアとかがちょっかいを出してこなければ良いんですけどねぇ。

日本の大企業で素早く動ける企業があれば良いのですが。

あの宝の山が日本の国益となるよう上手くいくことを願うばかりです


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