今日のガイアを3行で
- JALの稲盛改革について
- 稲盛氏の教えは今も脈々と息づいているようでした
- 安全という部分で御巣鷹山の教訓もしっかりと守られているようでした
※この記事はガイアの夜明けを見ながら自分のメモ書き的な感じで書いている記事です。放送内容を引用してます
JALのシンボル
日本航空の主力機A350改革のシンボルです。
導入の道筋をつけたのは稲盛和夫氏
経営破綻したJALの意識改革
怠け心があり人生を気楽に行きたい人は経営者になってはいかん
稲盛フィロソフィは人々の道標になっていました。
安全とは命を守ること。御巣鷹山の教訓も。
ガイアが追い続けたJAL日本国空は今…
JALの経営破綻
日本航空は半官半民の会社でスタート
高度成長と共に世界中に翼を広げましたが。
派閥争いや親方日の丸体質によって慢性的な赤字体質
2010年1月 経営破綻
すとろんぐ負債総額2兆3221億円
金融機関を除くと戦後最大規模でした。
再建の重責を担ったのは稲盛和夫氏当時78歳
まずは現場巡りから開始。
名経営者だが航空業界は初です。しっかり見て回ってました。
本社、空港、地方支店などを2ヶ月かけて見て回りました。
その結果として発せられた言葉は衝撃的
言葉が下品かも知れないが
JALへきて商売人という感覚を持った人があまりにも少ない
そういう方では八百屋も経営出来ない
再建に多額の公的資金も投入されました。
その為JALは身を切る組織の見直しも
48700人⇒32600人 16000人リストラしました。
職場の花形パイロットも例外ではなくリストラ。
日本航空の再出発にあたり社員1人1人に求めたのは
考え方改革と覚悟
「新しき計画の成就はただ不屈不撓の一心にあり、さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に」
稲盛会長が掲げた言葉でした。
JALを再建するにはただ1つ幹部社員の考え方を変えてもらう
倒産したという事は、倒産するに値する考え方をしてきた。
それをどう正すか
2011年1月
リーダー教育が行われました。
機長や客室乗務員などの部課長クラス。
真剣に見入っていたのは稲盛氏の話でした。
仕事に対する姿勢はどうだったかなどJALに残った社員は厳しく問われました。
そこえ作られたのがJALフィロソフィ
全員が心を一つにして一体感をもって、お客さまに最高のサービスを提供すると書かれています。
国を挙げてのバックアップと稲盛改革で
2011年鶴丸ロゴ復活するなど業績も回復
2009年508億の営業赤字
2012年には2019億円の営業黒字(過去最高益)となりました。
フィロソフィの継承
今年9月の羽田空港
ガイアの取材が訪ねたのは運航本部(パイロットが所属)
運航企画部部長 南さんの元でした。
破綻前の2008年南さんを密着取材していたからでした。
当時は…花形機747型の機長。
後輩指導教官でした。
新千歳まで乗客を乗せて行う路線訓練にガイアが密着してました
あいにくの雨視界が悪く条件が良くない路線訓練
新千歳にい近づくと訓練生に説明。
着陸のため高度を下げ始めたら無線が入ります。
JAL507便へ
前方に離陸した飛行機がある
737型高度1万1000フィート
コックピットに緊張が走る
すぐそこにいるけど視界が悪く見つからない状態
何とか確認して連絡して事なきを得てました。
そんなシーンがあったんですねぇ。
いつも冷静沈着後輩指導に熱心なパイロットだったようです。
JALは破綻後経営改善のため赤字路線の撤退をして保有航空機を処分
747型機36機を全機売却しました。
747は良い飛行機だった完成されていて…
でも感傷に浸るよりも会社が破綻してしまったので
感傷に浸るも何もなかった
2011年 南さんは操縦する機体が無くなったパイロットを別の機種に転換する訓練をしてました。
辞めていく先輩パイロットもいたそうです。
南さんが社内改革に前向きに取り組めたのは小さな冊子のおかげでした。
それがJALフィロソフィ
何か判断をしたいとき皆が振り返ったり考えたりしているそうです。
多くの人が引用するのは土俵の真ん中で相撲を取る
切羽詰まってない状態で考えよという事のようです。
大事ですよね…それは。
一番重要です。
JALフィロソフィは3万人以上の社員の心の拠り所になりまいsた。
今やJALの恒例となっている研修会
フィロソフィ勉強会
オンラインで様々な部署から100人近い社員が参加
SDGsで出来る事なんてテーマで話し合ってました。
SDGs自体がどうなんだ…ですが。
自らの行動がフィロソフィに沿っているか具体例を挙げて考えるようです。
会うことが少ない他部署との交流。勉強会を通じて横の繋がりが出来ました。
2008年頃はお互いを理解出来ていなかったそうですがJALフィロソフィでお互いに理解が進みました
南さんにとって稲盛改革とは
最初の頃は懐疑的だったし、意識改革も本当に必要だと思っていなかった
稲盛さんは本気だった
中途半端な気持ちだと怒鳴りつけられたそうです。
目が据わって本当にお前は考えているのかと問われた
稲盛さんの本気の改革に触れた社員
感じた熱い思い脈々と受け継がれていました。
稲盛さんの意識改革はパイロット訓練にも大きな影響
フライトシミュレータでの定期訓練
福岡から羽田への飛行訓練でした。
実際に飛行機で飛んでいるのと同じ感覚
目的地の羽田が近づいたとき
羽田付近の天気が急変して雷が鳴りだします。
着陸態勢に入ったときにゴーアラウンドという指令が。
着陸をやり直して加速します。
再びトライするか諦めて成田に行くかを判断しなければなりません。
成田の天気を調べると羽田と同じ状況。
成田キツイかも
羽田のアプローチで考える
C滑走路は使えるか
などなど、機長と副操縦士のやりとりが行われていて。
インストラクターが聞いていました。
再び羽田へのトライを選びました。
アクシデントにどう協力して対応するかが試されてました。
破綻前のJALは運航トラブル続出でした。
教官機長会議
教官と訓練生との人間関係で物が言いにくくなっている訓練生の場合はすみません聴けなかったと
もう一回聴くのが難しい
それは何故難しい?
上に物を言えない社風
それが安全という根幹を揺るがせていたそうです。
今は一方的に答えを教えるのではなくコミュニケーション重視
最善の考え方をするプロセスを重要視していました。
古い訓練を受けて育ってきたので意識してやっている。
教えるのではなく受けた人たちが気づくようにと。
自ら良い方向に学んで伸びていければ。
訓練の大幅な改革が行われたのは稲盛改革が影響
現在の訓練の内容は社員が作りあげた物
現役パイロットが関わっていました。
定期訓練を受けていた人もその一人
稲盛さんの考え方が非常に大きかったそうです。
何が正しいのかという所
あれ(JALフィロソフィ)を前に出して行けばどんなことでもチャレンジできた
訓練のデータを管理するソフトも自分たちで開発
その時々の指摘など過去の訓練データが蓄積
一目で分かるようになった
DBを振り返り自分の運行に生かしたりしているようです。
A350
羽田空港
JALの主力機A350
稲盛改革の象徴の機体
以前のJALはボーイングが殆どでしたが。
稲盛氏の考えは
一社にかたよらず複数社に競わせてコストを下げる
従来機はアルミニウム合金だそうですが。
A350で導入されたのはCFRP(炭素繊維強化プラスチック)
80トンの軽量化が行われていて、カーボン素材を使うことで流線的なデザインが出来ました。
流線的なデザインで空気抵抗の効率化が図られ燃費も良くなります。
1機当たり年間2億円のコスト削減になるとのこと。
コスパに優れるA350は新生JALのシンボルです。
赤坂社長がいる役員の大部屋にも稲盛ワードが。
謙虚にして驕らず
何が何でもやり遂げ寝るんだお前ら油断するなよ
稲盛さんに怒られているような感じがする
忘れてはならない
と赤坂社長が語っていました。
日本航空安全啓発センター
羽田空港に隣接するJAL施設
日本航空安全啓発センター
事故機の垂直尾翼がありました。
非常に生々しいが事故の大きさや悲惨さを体感できる
1985年8月12日
日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落
乗員乗客520人が死亡
単独の航空機事故で史上最悪
赤坂社長が日本航空に入社したのはすぐ後でした。
85年の自己は飛行機を勉強している学生にとってショッキングなこんなこと起こってはいけない。
絶対に起こしてはいけないという憤り。
いかに安全に飛行機を使うかを考えて行くことで何か役に立てるのではないかと。
赤坂社長は整備士として勤務
日本校区安全啓発センターは2006年にできました。
もう一回御巣鷹の記憶をしっかりみんなで確認しようとつくった
安全啓発センター長を務めたこともあった
非常に思い入れがある
と赤坂社長。
8月12日御巣鷹の尾根。
慰霊碑に手を合わせることは歴代のJALトップの務めです。
春夏秋と年3回訪れるそうです。
安全憲章は全社員が携帯
一番大事なのは
安全とは命を守ること
現地、現物、現人という言い方をしているがまさにこれが現物
後世に御巣鷹山の教訓を残す鍵
教訓を受け継ぐためJALの若手社員はかならずここで研修します。
事故当時からの在籍社員は2%未満となりました。
風化させてはいけない出来事
遺品も展示されていました。
腕時計の針は
墜落した6時56分で止まったままです。
最後に書いた遺書とかは心を掴みますね…。
若手社員による慰霊登山は毎年行われています。
そして山見tは工事中10月復旧へ
皆高齢化しているので楽にになるように改良しているようです。
全国の社員らも毎年訪れてるそうです
コロナ禍のJAL
2020年春 羽田空港
新型コロナの感染拡大で空の移動が制限
欠航だらけ
見つめる赤坂社長
「信じられない。極めて厳しい」
破綻から10年JALが再び迎えた危機でした。
JALは大丈夫?
大丈夫
10年間コツコツと何かあったときのため備え蓄え
ためていこうと社員がみんな一丸となりやってきた
1ヶ月後
緊急事態宣言が解除され久々飛行機へ
客室乗務員に声をかけていく
コロナ禍を乗り切るため訪れたのは北見市
女満別空港が玄関口です。
コロナで便数を減らした自治体を回っていたのでした。
「便数が減ってしまって本当に申し訳ない」と陳謝。
「我々の地域では重要というのをご理解頂いて」と釘をさされていました。
札幌から300km離れた北見市
欠くことの出来ない交通インフラです。
かつての破綻では地方路線から撤退したJALですからね…。
大きく地方の価値がコロナの前後で変わってくるに違いない
地方の良さをどんどん発信していって航空事業としてお手伝いしていく
JALふるさとプロジェクト
2021年4月スタート
仕事が減った社員達が自らの故郷の魅力を紹介
中には郷土料理レシピを紹介する人も。
社員一丸となった努力により
国内線旅客数も1221万人とANAに迫りました。
ただコロナ禍での最終赤字は 1770億円
巨額赤字でした。
9月7日国際線ターミナルが活気づきました。
水際対策が緩和され帰国時のPCRは不要に。
2年ぶりに夫に会いに行く人も
役員会議
JAL本社で話し合いが。
8/25の規制緩和発表から予約が増えて客も増えてました。
日本から海外1.8倍
海外から日本1.4倍
国際線の予約は増えたが赤坂さんは厳しい表情
ビジネス客が増えていない
位置の企業はウェブでの会議を継続してました。
リモートワークが定着したので出張需要が伸びないのです。
復活への模索が行われていました。
まぁ出張は無駄ですからねぇ…。
うちもフルリモートになりつつあります。
中国
中国上海
コロナ前JALは北京、上海。講習、天津、大連などに96便直行便出していたが復活の目処が立ちません。
JAL上海オフィスではスタッフも復活を願っていた
客室乗務員の史さん。
2020年3月1日に上海に戻ってからはフライトして無い模様。
2年を超えたとのこと
史さんは2003年JAL入社
主要な国際路線を担当。
上海支店
客室乗務員が220人から150人に
史さんは機内アナウンスの研修などをして過ごしていました。
早く復帰したいという願ってました。
8月上旬JALテクニカルセンター
史さんが上海から来てました・
世界規模でコロナ対応が変わる中集められのは客室乗務員の仲間
いつでも常務に復帰できるように1から訓練です。
日本人に交じり6人の中国人も参加
2年以上飛べない間に手順などが変わっているものもありました
緊急脱出訓練も実施。
刻々と事態が変わります
2年半以上乗務できてなかったが全員を脱出させる事に成功
こうした訓練が朝から夕方まで3日間続きました。
フライトを楽しみにしている
日本人の仲間達と一緒に。機内サービスも変わったみたい
今夜も一杯勉強したいと思う
史さんは勉強熱心でした
忘れられない稲盛氏の言葉
赤坂社長には忘れられない稲盛さんの言葉
稲盛さんが整備の現場にやってきたとき「航空会社にとって安全が何より大事
安全を守る意味であなたたち整備の人が一番大事だよ」
凄く熱く私たちの前で話をしてくれた
命を削る思いで、そういう覚悟で再建に取り組んで頂いた
稲盛さんからご指導頂いた「世のため人のために」という「これによって利益を出していく」稲盛さんの想いに報いていくと言うこと
整備の現場が一番大事という言葉。
整備畑の人には重い言葉ですよね。
流石稲盛さんだなぁと思いつつそれによって再建したJALは頑張ったんだなぁと思いつつ見ていました