今日のガイアを3行で
- 以前取材した人たちを追っていました。
- 浜屋は中古品売買で更に拡大していました
- 日本ポリグルも水の浄化をまだまだ頑張っているようでした
※この記事はガイアの夜明けを見ながら自分のメモ書き的な感じで書いている記事です。放送内容を引用してます
世界に感謝される人たちを追いかけた
世界に感謝される人たちを追いかけたのが今日のガイアでした。
ガイアが取材した国は70ヶ国以上
よく見かけたのは世界から感謝される日本人の姿。
自ら開発した浄化剤で安全な水を届ける中小企業経営者
日本ポリグルですね。しばらく見てませんでしたがまだありましたか。
メードインジャパンの中古を世界へ輸出していたリサイクル業者
そんな2人の今を追いました。
浜屋の今
川崎市団地で家の中を片付けている人たち。
第一回収株式会社という回収業者でした。
家主がいなくなったお家かな…の整理をしていました。
長年埃を被っていた物が続々出てきます。
カメラやらミシンやらは高齢者のお宅は大体出てくるそうです
レコードやらこけしやら土佐犬の置物やらまで回収してます。
廃棄されるのではなくてどこかに持っていく人たち
埼玉県東松山市の浜屋
浜屋という会社があります。
国内19箇所に拠点があります。
先ほどの回収業者から荷物を買い取っています。
薄型テレビは画面が割れていないかを確認しながら買取
ラジカセなどもありました。この時代に大型3台
買取り価格は状態やグレードで上下
ラジカセは50円から450円
エアコンは3000円から6000円
ミシンは300円から3000円
置物シリーズ…こけしなどは1kg100円
あまり値段は高くないようですが。
浜屋の秘密を松下さんが探りました。
浜屋社長小林さん
物が沢山倉庫にありましたが少ないと言います。
海外に輸出する物が置いてある倉庫でした。
家庭でいらなくなった物が大量にストック。
エアコン、ブルガリアとかベトナムに行くそうです。
殆どそのまま使える物となっていて、もし壊れていても修理して使える物だそうです。
浜屋は日本の中古品をいち早く海外へ輸出している企業です。
コンテナで輸出します。
常時40ヶ国は輸出していて、累計だと70ヶ国はあるそうな。
小林社長の履歴
浜屋を一代で築き上げた小林さん
プロボクサーをしていた時代もあったそうで。
その後トラック運転手など職を転々
1991年浜屋を設立しました。
そのときはスクラップだっけかを輸出していたそうですが、
コンテナの隙間に中古家電を入れて送ったのを切っ掛けに
中古家電輸出が中心となったようです。
メードインジャパンが凄かった。
この仕事が出来たのは日本のおかげ。
日本人が思っている以上にメードインジャパンが凄かった
もう1つが日本人の信用。
日本人の信用のおかげで商売できた
ガイアは18年前に小林氏を取材していた
当時50歳
当時の主力はオーディオ機器バイヤーが買い付けていた。
バイヤーのムハマドさんが出て来てました。
浜屋を出たコンテナを追うとアフガニスタンでした。
小林さん自ら輸出する国を開拓していました。
砂漠の真ん中にあるアフガンの秋葉原でした。
新しいコンテナが届く。
浜屋の商品でした。
当時のアフガンではテレビ番組が少ないのでラジカセが人気。
ミシンも人気でした。
コンテナが開いて商品の山を見てバイヤーが集まってました。
500軒の店が軒を連ねるアフガンの秋葉原
浜屋が日本から送った使い古しの家電が沢山ありました。
販路拡大を目指して500軒の店を飛び込み営業してました。
熱意があれば通じる英語…ハチャメチャ英語で頑張ってました。
商品入札
入札方法は布きれのなかで指を握り合って決める方法でした。
競りが始まって30分。コンテナ1台分が全て売れました。
買い付けた商品を砂漠を越えて行く男たち。
丈夫で長持ちの商品とはいえちゃんと動くのか?
壊れていても修理して使い倒すのがこの国の流儀でした。
問題ありません。
2022年5月の浜屋
倉庫を見るとある人に出会う
18年前にバイヤーしていたムハマドさんまだいました
18年前にも取材したムハマド・ヤクブさんはまだ浜屋とビジネスをしていました。
買い付ける商品は、ガスレンジやガスストーブ、蛇の目のミシンなどでした。
メードインジャパンじゃないと駄目なようです。
家電で日本製って殆ど無いですからねぇ。今は。
今は中国や他の国からの新品ミシンもあるけど日本製以外は全然いらない。すぐ壊れる
日本製があったら喜ばれる。
あの家電マーケットはどうなっている?
今もまだあるそうで更なる拡大をしていました。
2022年のアフガン秋葉原は山積みのガスコンロなどがありました
500軒だった店が今は6000軒になっていました
ミシン販売店は内職女性に人気だったり。
浜屋から送られた日本中古品が大活躍してました。
浜屋の物は綺麗で品質が良いそうです。
ムハマドさんもビジネス始めてから20年浜屋のみだそうです。
浜屋の倉庫には色々な国のバイヤーがいました。
ナイジェリアのバイヤー
浜屋の良い所はやり方がWin-Win
良い物がコンテナに入るから一番信用がある
などなどバイヤーの声が続きまして。
浜屋はかなり信用されている事がよく分かります。
小林さんは世界から信用され感謝されている日本人
小林さん
失われた20年が30年になり停滞しているが
日本もまだまだ捨てたもんじゃない
ベトナム人バイヤー
グエンさん。
ベトナムで大人気な物を買いに来てました。
アフガンで人気だったラジカセです。
ボロいラジカセ240台購入
代金の前払いがルールのお店です。55万円払ってました。
グエンさん更に物色。
たくさん全部買いたい
円安で買いやすいでしょうしね。
ベトナムで本当にさばける?
5月ホーチミン現地人に取材してもらってました。
日本からラジカセとか古い物が輸入されている謎を探ると…
ベトナムではカフェが続々オープン
カフェアパートメントなんてのも。
レトロカフェが人気だとか
そこに日本の古い物がありますソニーのラジカセとか。
日本のラジカセはデザインが格好いいらしいです。
畳と座布団の席などもあったりと。
ベトナムは昭和レトロブーム
何故!?何故か日本の昭和レトロがブームだそうです。
浜屋が送った家電がインテリアになってました。
使われているわけじゃなくてインテリアなのか…。
浜屋では意外な物を見つけました。
ランドセル
フランスで流行っている
子どもじゃゃなくて大人の女性がファッションで
えぇ…。
こけし
イギリスに持っていったら売れたそうです。
欧州でブームを作ったのは浜屋さん…らしいですよ。
フランスパリを取材
人気の骨董市に浜屋フランス支店が出店。
ランドセル3000円
こけし1400円~
などが販売されていました。
浜屋の売上げ
2003年9月期28億円が2021年9月期128億円
もったいないを広めようがモットー
働く現場にも変化が
目立つのは若い人たちの姿。
大学新卒で入った現場研修しているかたも
もったいないを広げたいに共感して浜屋を見つける事が出来て応募した
使える物を必要としている人に届けることは素晴らしいと感じている
社員70人だったのが340人に。
平均年齢も若返りました。
さらに企業内保育園も開設。
社員の子どもを優先して入れる保育園です。
社員が働きやすいように作ったそうです。
社員を大事にする小林氏
自分自身の経験がありました。
26で結婚するも15回職を変えている
どこも勤まらなくて自分でしょうがなく始めた
人間の欠落者かと思った。働く社員の気持ちは少し分かる
世界を相手にした新ビジネス
新しく力を入れているのは
電子基板でした。
ブラジルやフィリピン海外からも集めているそうです。
輸出したコンテナの帰りに電子基板を詰めて輸入。、
チップの中には金やパラジウムとか入っています。
分解して基板を分解して貴金属を回収していました。
日本の製錬技術は世界でトップクラス。
うちが精錬するわけじゃないが技術が凄いので世界の物を集められる
5月
電子基板専用の工場が完成
出来たばかりの工場には真新しい大型機械が。
集めた電子基板をコンベアに投入して分解してました。
多くの国と繋がる浜屋の新規授業
世界で感謝される日本人は宝の山を採掘中
他にも感謝される企業
地雷除去マシーンを作った起業。
マラリアを媒介する蚊を退治するための殺虫効果のある蚊帳を普及させようとしていた社員
アフリカの奥地に電気を届けようとしていたベンチャー。
色々注目していましたが。
ガイアが注目してきたのは水の浄化剤でした。
日本ポリグルですね。
私も覚えてました。
日本ポリグル
まずは2008年バングラデシュから。
ガイアはここから日本ポリグル会長小田さんの取材開始
人口2500の小さな村の水事情を見て回って
汚い水を使っている現状がありました。
生活用水に使える水じゃないような水を使っています。
浄化剤を試すと水が透明に
日本ポリグルはヒ素などの不純物を取り除ける浄化剤を作りました。
納豆の粘り成分などが主原料
水を入れて掻き回すと不純物と結びつき沈殿。
不思議だがこれだけで綺麗な水が出来ます。
この浄化剤を現地の人でも買える値段で売っていました。
もしボランティアでやろうとしたら息切れしている事業をやっているからこそこういうことも出来る
これが重要ですよね。
商売にすることで持続可能となります。
濾過装置
村に濾過装置も作りました。
池の水を綺麗にして飲み水にしてつかえるようにしてました。
そんな中小田さんの人生を変える出会いが
一人の少女と出会いましたファティマちゃん10歳
去年母を亡くしていた。洗濯炊事は彼女の仕事
汚い池の水でご飯を炊いて飲み水は汚い井戸水。
その水を飲むしか無いのです。
母親と弟をサイクロンで失っていた少女
せめて綺麗な水を飲ませてあげたいと決意を新たにする
家庭用水の濾過装置を作りプレゼントしました。
持っていた浄化剤をあげて…
3年分の飲み水を浄化可能でした。
8ヶ月後訪れるとファティマの家に水をもらいに来る人が。
浄化装置が大事に使われていました。
近所の人が水を分けてもらいに来ていました
10軒の人が貰いに来てました。
そこで新たなビジネスが。
小田さん5年後水の宅配ビジネスをしていました。
水10リットル3円で売っていました。
現地の人でも買える値段です。
契約数7000世帯に
従業員も5年で8人から102人に¥。
村人達に呼ばれました
安全な水と働く場を作ってくれたから感謝の気持ちをということ
小田さんはすっかり有名人になってまえいた。
地道に続けた5年間の取り組みが実を結んでました。
その後もロヒンギャの難民キャンプに浄化装置作ったり。
ソマリアの避難民キャンプにつくったり
40箇所以上に設置
80までに世界中から悲惨な状況を無くす手伝いが出来たら…
日の丸を世界各地で揚げたい
と語っていました。
今の日本ポリグル(小田さん)
2022年大阪市
小田さんに会いに活きました
日本ポリグル会長は81歳になっていました
小田さん毎朝6:30に出社するほどお元気でした。
その後どうなった?
80の国地域へ輸出していて1500万人が利用
しかし今はコロナ禍で海外とのやりとりはオンラインのみ
世界中を駆け巡るための探検服も活躍出来ない状態でした
コロナで出張へ行けなくなって
この人達がどうしているんだろうかと想う
しかし感動の再会がありました。
バングラデシュのファティマさんとオンラインで再開することに
水の宅配ビジネスを始める切っ掛けになった少女です。
私は23歳になる
元気な姿を見て嬉しい
小田さん思わず笑みがこぼれる
昔話などが弾んでました。
4年前に結婚して生まれ故郷を離れて暮らしてるファティマ
今とても幸せだそうで去年女の子も生まれていた
ただ今住んでいるところの水事情は悪いようでした。
聴いた小田さん
またもう一度安心して水を飲めるようファティマと
旦那さんに是非手伝って貰おうと思っている
と提案しました。
浄化剤をおくるので広げて欲しいという提案でした。
それを受け入れてくれました。
5月下旬浄化剤がファティマの元へ届いてたようです。
元気がでた小田さんはある所へ連れて行ってくれます。
新しい挑戦を取り上げて欲しい
4月岡山倉敷市
ポリグルの小田さんがやってきた
訪ねたのは
萩原工業
合成樹脂の繊維メーカー
ある壮大な計画を進めようとしていた
社長の浅野さんが対応。
世界中で微細なプラスチックが問題
これをいち早く実用化しなくちゃいけない
海を汚すマイクロプラスチック
その微細な粒子を浄化剤で固めて取り出そうというプロジェクトでした。
浄化剤で固めて萩原工業が開発する特殊繊維で絡め取る作戦です。
将来的には浄化剤を撒く船で情解したいそうです。
81歳の小田さんに萩原工業の社長は…
バイタリティのある人
グイグイと前に引っ張られている
引きずり回されている
と語っていました。
小田さんは何を思う?
いやぁ…
世界は問題だらけだもんな
水だけは皆困らないようにしたい
だからね今のままじゃ今の寿命の方が持たない
弟子達がどんなに発憤してくれるかを願っている
と、語っていました。
感想・まとめ
日本ポリグルがまだまだ健在だったんだなぁと。
というか、しっかりあちこちの国を救っているとは驚きました。
中古業者の話は…
日本の資源もそのうち在庫尽きるだろうから。
その後どうなるんだろうなとは思いました。
日本製なんて殆ど無くなってますからねぇ