今日のガイアを3行で
- 今日のガイアはスズキの特集でした
- カリスマ鈴木修氏が一線を退き後釜の息子がどう進むのか
- スズキのこれから辿る道は…父を超えてゆく覚悟に密着してました
※この記事はガイアの夜明けを見ながら自分のメモ書き的な感じで書いている記事です。放送内容を引用してます
スズキの代替わり
楽しみ方が広がる軽自動車
その軽自動車で躍進したのが三兆円企業のスズキ自動車
立役者は鈴木修氏でした。
行動をしながら考えなさい。考えながら行動しなさい
という名言を残しています。
「自動車を身近に」というキーワードでアルトを販売。
更に新たな市場の開拓
その跡を継いだ息子 鈴木俊宏氏
直面したのはインド市場のシェア争いでした。
父を超えてゆく覚悟に密着していました。
スズキ友の会
2022年7月浜松市
スズキ友の会が開かれていました。
スズキOB(元社員等)の方達が集まる会合とのことです。
ある人物の周りに人が…鈴木修氏でした。
今年で93歳になった相談役です。
40年以上に渡って社長会長を渡り歩いたカリスマです。
元社員の方が「生まれ変わってもこの会社で働きたい」と言うぐらい社員に好かれている鈴木修氏。
修氏は社員一人一人と信頼関係を築いてきました。
スズキの歴史
1909年創業 機織り機の製造からスタートでした。
1952年 エンジン付き自転車発売
1954年 それを改良してオートバイを販売
2輪で名を馳せました。
1955年 初の自動車発売します。
そして創業家の娘婿の修氏が社長になります。
社長になって初めて手がけたのは
スズキアルト
1979年 アルト発売
軽自動車として47万円で発売開始。
その当時でも軽自動車の新車が65万円前後だったのに衝撃的価格で大ヒットしました。
ターゲットは女性
他社が高級路線を走るなか独自路線で勝負しました。
それが社長就任1年目49歳でした。
その当時(1979年)国内販売台数5位だった弱小メーカーのスズキ。
躍進の開始でした。
1982年 他社がアメリカ一辺倒の中インドに進出
ガイアは17年前に密着してました。
人口11億(当時)最後の巨大市場
修氏は日本でもインドでも徹底した現場主義でした、
業界内で無謀と言われたインド進出。
当初日本の部品メーカーは誰も協力しませんでした。
ゼロからのスタートだったがこの勝負に勝ちました
どっか行って1位を取ろうという野望があった
一番簡単なのはどこのメーカーも出て行ってないところに行けば1位
今やスズキは国内2位です。
(国内販売台数 2022年)
トヨタ:124万台
スズキ:60万台
ダイハツ:57万台
ただ東日本大震災で業績悪化。
2016年燃費不正測定問題
と、順風満帆ではありませんでした。
そして鈴木修氏は…2021年2月
「後進に道を譲ることを決めました」と代表権を持たない相談役に。
バイバイと言い残して去りました。
カリスマからバトンを託されたのは長男鈴木俊宏氏(63歳)
自動車業界はEVなどなど100年に一度の変革期
難しい舵取りの中での交代でした、
不安だらけ
こういう立場になりどういう風にスズキを継承していくか
スズキ
従業員:70,349名
売上げ:3兆5684億円
その大黒柱になるのです。
鈴木俊宏社長の一日
8:00に出社開始
最近の話題は半導体不足
急に供給が出来なくといった情報が入ってきていて「そんな部品も」というのもある。
会社に行きたくないと思うことも時々ある
社長も大変です。
スズキ本社(浜松市)
エレベーターは使わないそうです。
普段あまり運動することがないので運動代わりとのこと。
3階まで上がって社長室。
出社を待っていた社員が入ってきて名刺のデザインの相談してました
名刺一枚についても社長決裁
普通の会社だとそういうのを決める部門があるがうちはそこまでいっていない
更に害獣駆除装置:モンスターウルフという怪しい会社が作ってそうな物体もスズキで作ってました。
町工場さながらの光景があちこち
社長は分刻みで仕事をこなします
11時40分社員食堂で買った健康弁当(328円)を食べます。
次の仕事は12:00から
重視している会議
その名もワンプラスセブン
社長と7人の幹部による経営会議
その会議を起ち上げたのは社長自身
相談役から代が変わって僕がいきなり1人でやるのは無理だなと
皆の力を借りながらやっていかないと(スズキ)存続は難しい
内容は極秘で撮影は冒頭のみでした。
スズキの絆
富山高岡市にあるタナベ自動車
スズキは直営店が少ないので街の自動車店が販売の頼りです。
修氏の影響力はここにも
会長の田辺千秋さんは60年スズキ一筋。
これは私の宝物と見せてくれたのは修氏の書いた色紙でした。
修氏が田辺さんに贈った言葉「一」
全て一番を目指して頑張れということだそうです。
共存共栄
修氏は全国の販売店に足を運びました。
大企業トップだが誰にでも気さくに接したそうです。
固い絆が販売網の強み
それを壊さない為にも現社長は販売店と新たな絆を作ろうとしていました。
副代理店大会などが開かれてました。
国内における相談役の存在は大きい。
全く同じスタイルを僕は取れない。それを乗り越えていかないと
スズキの車両を眺めて見る
スズキアリーナ足立に松下さんが行ってました。
アルト
発売から44年 94万3800円~。
女性に人気
丸みを帯びたインパネだったり女性らしさを意識している
スペーシア
131万ぐらい
ファミリー層に人気で一番人気だそうです。
ハスラー
ジムニー
軽自動車らしくない特徴があります。
車高が高いです。
悪路でも車体に当たらないようになっています。
内装デザインも無骨なところが有りアウトドアな感じの車。
ジムニーは結構女性に人気
ジムニー女子という言葉があるそうです。
カスタマイズした愛車をSNSにアップする女性がいるそうです
私も一時期ジムニー欲しかったんですけどね。
アウトドアしないことに気づいて不要に
インド市場
インド
スズキがいち早く注目した市場が沸騰していました。
現在人口14億人 人口世界一2023になる予定です
そして生産年齢(15-64歳)人口 67%
羨ましいですよねぇ。
今後ますます成長します。
インドの新車販売は日本を抜いて初の3位に。
その原動力がスズキでした。
進出当初は苦労の連続。
タイムカードを導入したり、作業着を支給したり、仕事前に体操したり…
スズキがインドに始めて持ち込んだ労働文化でした。
インドで車と言えばスズキ
国民車と言われるそうです。
デザインも燃費も最高
値段も手頃インド人に自動車を持つ夢を与えてくれた
と、市民にも知名度は抜群で好評でした。
しかしそのスズキの牙城が揺るいでいます。
2022年シェア
マルチ・スズキ41.6%
ヒョンデ、タタ、マヒンドラ、キア、トヨタなどがそのあとに続いていました。
猛烈な攻勢をかけているのがヒョンデ(ヒュンダイ)
スズキの弱いSUVのラインナップが充実していてシェアを急激に伸ばしています。
販売店を覗くと連日大賑わいでした。
スズキのシェアを奪う!と意気込んでいました。
インドの国内メーカーも急成長しています。
タタモーター
EVを3年前から市場に投入
2022年は3万台でしたが2023年度は10万台目標だそうです。
スズキは売上の4割がインド市場
シェア奪還が生命線でした。
我々の顧客は 14億人の内の3億人
販路を全土に拡大することが重要
去年8月には
インド進出40周年を祝う催しも開かれました。
モディ首相に感謝を述べていました。
勿論鈴木修氏も呼ばれてました。
実にインド訪問は200回を超えるとのこと。
その席上鈴木俊宏社長がぶち上げたのは
我々はEVの生産に着手する
それに伴い1000億ルピー(1600億円)以上を投資します
という発表でした。
巨額投資を含めシェア50%奪還に向けて動き出しました。
グジャラート工場
260万平米の広さがあります。
生産能力 75万台
新たに開発するEVの生産拠点を作ります。
工場勤務経験のある鈴木俊宏氏
現場主義は父譲り
巨大工場なので敷地内に鉄道を引いたそうです。
ただ上手く活用出来るかどうかがキモでした。
鈴木俊宏社長から厳しい言葉が飛んでました。
言葉にいつにない厳しさはインドがスズキの生命線だから
本社でああでもないこうでもないと行っているよりも実際現場がどう動いているのか見る
インドではマルチ・スズキ・インディアが最前線となっています。
鈴木さん50歳(創業家とは関係無し)が頑張っていました。
インド赴任5年だそうです。
シェア50%奪還が使命
今インドではSUVが人気だそうで。
ヒョンデが特に伸びてるそうです。
鈴木さん
都市部を中心に客の所得も上がってきていきなりSUV買う客も出てくる
エントリーはシェア取れている。SUVはモデル数も少なくシェア取れてない
鈴木さん販売店の開所式に出席してました。
今新規の店を増やしているそうです。
マルチ・スズキ
販売店数 3500以上だそうです。
殆どが現地オーナーが経営しています。
開所式のメインイベントがお互いケーキを食べさせ合って店の繁盛を祈るものだそうで。
10日に一度は開所式に出向く鈴木氏。
私の鈴木という苗字たまたま会社と同じ
インドの人は良い意味で勘違いしてくれる
スズキという名前だとスズキファミリーがきたと思ってくれる。
特に否定もせず黙っている感じ
…いいのか?それは?と思いつつ。
役得ですかね。
販売店はこれまで都市部中心だったが地方に広げていこうとしています
大切なのは長老達への挨拶。
苦手なたばこも断りません。
鈴木さんなので大歓迎を受けます
ダンスも応じます。
必ず訪れるのが地元の小学校
塗り絵コンテストの表彰式
スズキは各地の小学校で車の塗り絵をして貰っているそうです。
子どもに車の塗り絵をして貰い、家に帰ってこの車欲しいと言って貰ったり、子ども成長の後にマルチ・スズキの車を買って貰えたらという思惑が。
将来を見据えた種まきにも抜かりなしです。
デリー近郊の日本風居酒屋に駐在員が集まってまり仕事のお話。
皆危機感を持っていました。
話しているうちに酔いが覚めてしまうほどに。
命運を握るインド市場で反撃の一手を打とうとしていました
工場の合理化
鈴木修氏が力を入れてきたのが工場の合理化
レーンが斜めになり車が移動している場所がありました。
修氏が言ったのは
重力はタダ地球の力を使え
レーンを斜めにしてボディを動かすことで動かす電力がカットできるという訳でした。
窓を大きくして電気代をカットしたり。
自然光を最大限取り入れてました。
重力もただ、日光もただ
自然にあるものをいかにうまく使うかだそうです。
視察を繰り返し徹底して改善してきました。
鈴木氏の跡を継いだ社長の工場視察にガイアのカメラが入りました
湖西市にある湖西工場
敷地面積120万平米
国内最大の生産拠点です。
2022年の国内生産台数92万台のうち湖西工場が44万台です。
2022年10月下旬
年に1度の工場視察
相談役もやってきました。
工場視察だけは欠かさないそうです。
各部署が年間の取り組みを発表
経営幹部が問題を指摘して品質生産性の向上を目指します。
1989年から工場視察してきた修氏
現場と一緒に小さな工夫を積み重ね町工場から今のスズキを作りあげました。
中小企業の親父と呼ぶ所以
近頃は声が出しづらいので指摘内容はメモで伝えてました。
工場の人は緊張してました。
現社長も現場にいたことがありましたし自ら経験積んだ勝手知ったる現場
修さんとは違う新たな取り組みを始めた
今後の労働力不足を見据えた工場の更なる自動化
タイヤ自動搭載装置を開発してました。
ラインを動かしたままタイヤをつけれるそうです。
人がどう言う動作するか把握してロボットに置き換えることが必要
失敗して経験つんでそれだよな
工場視察から10日後
指摘を受けた現場では話し合いが続いていた
湖西工場はスズキのマザー工場と言われているそうです
本当のマザー工場までには慣れていないので更なる高みを目指しているそうです。
湖西から改善が国内外の工場へ波及していきます。
新たな挑戦が始まりました
勝負は年末年始にラインが止まる7日間
朝5時ある装置が搬入
3Dスキャナーでした。
タイヤ自動搭載装置に取り付けてこれまで平面で認識していた取り付け箇所を立体的に捉えます
ロボットに人の目に近い機能を取り入れ精度を高めるそうです。
作業開始から6日目
タイヤは上手く付くのか
…つきませんでした。
タイヤはゴムなのでロボットが掴むと撓むそうで
コンマ1ミリ2ミリを微調整する作業が必要でした。
必死に調整繰り返してました
オートエキスポ2023(インド)
インドのデリー郊外のイベント会場
シェア5割奪還を目指す鈴木さん
この日からインド最大のモーターショウが開催となりました。
インドの今後の商品戦略上一番大事なコンセプトモデルを発表します。
このときのために極秘に開発してきました。
6時
鈴木俊宏社長が来ました1泊2日の弾丸出張。
インドは大事な市場。力を入れているのを示さないと行けない
エキサイティングな発表と社長が語り。
秘密のベールが上がりました
eVX:電気自動車のコンセプトカーでした。
EV時代を見据え2026年春までに発売予定だそうです。
国内外へ
現地メディアが殺到しました
手応えはどうだった?
すごい
50%シェアは奪回できる?
そんなに甘くない
そりゃそうですね。
ジムニー5ドア:2023年度インドで発売
フロンクス(SUV):2023年度インドで発売
と、SUVの新型も投入していました。
工場改善
年明けから3週間
湖西工場
タイヤ自動搭載装置は?
無事に稼働していた
レイコンマ数ミリに対応してました。
1日当たりのライン停止時間が8分台から1.7分に。
年間720台の増産が可能となりました。
やって見ろよと背中を押すと色々な発想で改善する
創業の精神の原点に戻りやっていく
社長が2輪でツーリングしてました。
やってきたのは浜名湖
「仕事を忘れてもっと考えろ」と相談役に言われてるそうですが。
そんな修氏は殆ど家にいなかったそう。
たまの休みに連れてきてもらったのが浜名湖だったそうです。
かつての父と同じ立場に立った俊宏氏
記者会見で言われたのも相談役が偉大であるが故に「どうですか」と
今比較しないで欲しい
今から負けていますというのも悔しい
追いつくなり鈴木俊宏は鈴木俊宏だったと言われるようになっていれば良いな
鈴木修氏に話を聞いてみた
鈴木修氏93歳
カリスマが今思う事は?
喜
喜び
51勝49敗で、経営をさせて頂いた。ありがとう
たどたどしく言葉を紡いで下さりました。
僅かに勝ち越せたという想いとのこと。
鈴木俊宏氏
カリスマを継ぐのはカリスマでなくてはならないのではなく凡人で良い
反抗期ってありますか?
今かな?
なんて感じで締めくくられていました。
感想
カリスマの後の経営者の重圧ってのをヒシヒシ感じますよね。
それも父親ですからねぇ…カリスマが。
そのプレッシャーをはねのけてスズキが躍進するのか…
ちょっと楽しみですね。
私はスズキ車に乗ってませんけど。