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AIとペアプログラミングして学んだ技術記事執筆の難しさ

はじめに:記事完成の達成感から一転

先日、とある技術的な挑戦をして、それを記事にまとめました。

AIを使った開発体験で、個人的にはとても学びの多い内容でした。

「これは良い記事が書けそうだ!」と意気込んで、体験談として詳しく執筆したんです。

気がつけば5000文字を超えるボリュームになって、技術的な詳細も、失敗談も、学んだことも盛り込んで。

「我ながらいい記事だな」と自画自賛していました。

ところが、いざ公開を検討してみると…「あれ、これって公開して大丈夫なのかな?」という疑問が湧いてきたんです。

よくよく読み返してみると、なんだかヤバそうな香りがプンプンしてきました。

公開を躊躇した理由

複雑な配慮が必要な技術について

今回の記事で扱った技術は、技術的には興味深いものの、適切な配慮が複雑で、説明が難しい分野でした。

私自身は十分に調査して実施したつもりですが、記事を読んだ人が同じレベルの配慮をしてくれるかどうかは分からません。

「技術的に可能なこと」と「やっていいこと」は別問題なのに、技術記事では往々にして前者にフォーカスが当たりがちです。

読者が「簡単にできそう」と思って、適切な事前調査なしに真似してしまうリスクがありました。

「成功体験」として紹介することの危険性

私にとっては良い学習体験だったのですが、それを「成功体験」として紹介することで、読者に「これは推奨される方法だ」という印象を与えてしまう可能性がありました。

特に、AIを使って簡単にできたという部分を強調すると、「技術的なハードルが低い」という印象を与えてしまいます。

でも実際には、技術的なハードルよりも、適切な配慮や説明の方がはるかに重要で難しい分野だったんです。

炎上リスクの存在

技術ブログでの炎上は、技術的な正確性だけでなく、社会的な文脈や倫理的な観点からも起こり得ます。

特に今回のような分野では、意図せず批判を受ける可能性がありました。

「そんなことを推奨するなんて」「初心者が真似したらどうするんだ」といった批判が予想できました。

確かに、その通りだと思います。

AIに編集者視点でのチェックをしてもらった

記事の公開前に、AIに編集者の視点でチェックしてもらいました。

そもそも人間の編集者に知り合いもいないので、AIに「プロの編集者として校正してください」とお願いしたわけです。

「編集者AI」は容赦なく指摘してきます。

指摘された問題点

高リスク要因:

  • 複雑な配慮が必要な技術を紹介している
  • 判断をAIに依存することを軽視している
  • 「簡単にできる」という印象を与えている
  • 読者が不適切に真似するリスクが高い

修正提案:

  • より慎重な表現への変更
  • 注意事項の大幅な強化
  • 免責事項の追加
  • 「学習体験」としてのトーン変更

修正版を作ったものの…

指摘に従って修正版も作りました。

注意事項を大幅に増やし、免責事項も追加し、慎重な表現に変更しました。

でも修正版を見返してみると、注意事項だらけで読み物として面白くなくなってしまいました。

「危険です」「注意してください」「専門家に相談してください」ばかりの記事になってしまって、まるで薬の説明書です。

本来伝えたかった技術的な学びや発見が、警告文の海に溺れてしまいました。

技術ブログの悩ましさ

純粋な技術的興味と社会的責任

開発者として技術的に面白いと思うことと、それを公開することの社会的影響は、必ずしも一致しません。

純粋に技術的な興味から実験したことでも、それを記事にすることで間接的に推奨していることになってしまいます。

今回の場合、私にとっては「AIとの協業による新しい開発体験」が主なテーマだったのですが、扱った技術の特性上、そのAI協業の部分にフォーカスするのが難しくなりました。

読者の多様性という問題

技術記事の読者は、知識レベルも経験も価値観も様々です。

適切な判断ができる経験豊富な開発者もいれば、技術的には理解できても社会的な文脈を十分に理解していない人もいます。

すべての読者に適切に情報を伝えることの難しさを、今回改めて感じました。

自己検閲の必要性

結果的に、自己検閲することにしました。

技術的には面白い内容でも、公開することで生じうるネガティブな影響を考慮すると、公開しない方が賢明だと判断しました。

これは技術情報の共有という観点では残念なことかもしれませんが、責任ある情報発信という観点では適切な判断だったと思います。

別のアプローチを模索

抽象化した技術記事として

特定の技術分野に踏み込まず、「AIとの協業による開発体験」という部分だけを抽象化して記事にすることも考えました。

しかし、具体性を失うと読み物としての面白さも失われてしまいます。

限定的な公開

技術コミュニティの中でも、より経験豊富で適切な判断ができる人たちに限定して共有することも検討しました。

でも、ブログという形式では、読者を制限することは現実的ではありません。

将来的な公開の可能性

もしかすると、社会的な文脈や法的環境が変わることで、将来的には公開できるようになるかもしれません。

でも現時点では、時期尚早だと判断しました。

学んだこと

技術記事を書く責任

技術記事を書くということは、単に知識を共有するだけでなく、読者の行動に影響を与える可能性があるということを改めて認識しました。

特に、「簡単にできる」「成功した」といった内容は、読者の判断に大きな影響を与えます。

事前の慎重な検討の重要性

記事を書く前に、その内容が公開に適しているかどうかを慎重に検討することの重要性を学びました。

書いてから「公開できない」と気づくよりも、企画段階で適切に判断する方が効率的です。

技術的興味と社会的責任のバランス

開発者として技術的に興味深いことを追求することと、それを適切に社会に発信することの間には、慎重な判断が必要です。

すべての技術的実験が記事になるべきではないし、特に説明が複雑な分野では、より慎重さが求められます。

代替案:このメタ記事

結果的に、「公開できなかった記事について書く」というメタな記事を書くことになりました。

これも一つの解決策かもしれません。

技術的な詳細は共有できませんが、技術記事を書く上での悩みや判断基準については共有できます。

同じような悩みを持つ技術者にとって、何かの参考になるかもしれません。

おわりに

せっかく書いた記事を公開できないのは残念ですが、適切な判断だったと思っています。

技術者として新しいことを学ぶことと、それを適切に社会に発信することは、別のスキルが必要な活動です。

今回の経験を通じて、技術記事を書く上での新しい視点を得ることができました。

これも一つの学びとして、今後の記事執筆に活かしていきたいと思います。

皆さんも技術記事を書く際は、技術的な正確性だけでなく、社会的な影響についても慎重に検討してみてください。

時には、書かないという選択肢も、責任ある技術者としての重要な判断なのかもしれません。

追記:このメタ記事もAIに校正してもらった

そしてこの記事自体も、AIに編集者として校正してもらいました。

「面白さが足りない」「もう少しユーモアを入れては」「具体的なエピソードがあるといい」といった指摘を受けて修正しています。

公開できない記事について書いた記事を、AIに校正してもらうという、メタがメタを呼ぶ展開です。

技術者の日常って、なんだか不思議ですね。


この記事は、技術記事の執筆と公開に関する個人的な体験と考察を共有するものです。

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