ガイアの夜明け 感想

『トルコ大地震 知られざる闘い~復興へ… 日本との深い絆~』【今日の「ガイアの夜明け」感想】

今日のガイアを3行で

  • トルコ・シリア大地震に置ける日本支援の現状を取材してました
  • 徳洲会のTMATが活動していました
  • JICAや地元企業も支援に動いていました

※この記事はガイアの夜明けを見ながら自分のメモ書き的な感じで書いている記事です。放送内容を引用してます

2023年2月6日 トルコ・シリア大地震発生

現時点で死者行方不明者は52,000人を超えています。

12年前東日本大震災の時トルコ救助隊は日本で3週間活動しました。

今回日本の緊急医療チームがいち早くトルコの最前線へ向かっていました。

TMATの活動

トルコ大地震でいち早く現地入りした日本の医療チーム TMAT
NPO法人です。
日本最大の医療法人徳洲会が母体
その先遣隊が現地入りし活動開始
2/7(次の日)には派遣が決定
移動などでその数日後から活動開始となりました。

全国75の病院を持つ徳洲会本部
第一陣がギリギリの活動を続ける中現地からある要請が入った

第2陣はもう出して良い

すぐに志願者の中から第2陣のメンバーを決めます。
70人を超すリストから選ばれたのは町田先生
町田さんが勤務するのが福岡徳洲会病院のER
そこの救急医の町田さん44歳
勤務の後すぐにトルコに向かう事に。

夜勤明けの朝にパスポート取って昼の飛行機に乗るというハードスケジュールでした。

町田医師について

町田さんは福岡大学薬学部卒業の薬剤師でした。
薬学の准教授となりました。

しかし捨てきれない想いがありました。

バングラディッシュで井戸水がヒ素汚染されていた
青年と一緒に協力して支援した

それによって海外の援助活動をしたい気持ちがあって医学部に入り直した
37歳鹿児島大医学部入学。41歳で医師になりました。

朝8:00夜勤を終えて帰宅
元看護師の妻と休む間もなく出発準備してました。
町田さんは妻と2人の子(小学生の息子)の4人家族だそうです。

急なトルコ行きに妻は

心の中では大丈夫かなと思ったが
声に出してしまうと躊躇するかも知れないので言わずに「行って頑張って」と

奥さんも凄いですね。

現地へ

2月18日成田空港

全国から選ばれた第2陣メンバーが顔合わせ

TMAT第2陣は医師、看護師、薬剤師など9人

初めて参加の人もいる戸惑う事もあると思う
協力してやっていきましょう

隊長は整形外科医
當麻さん
インドネシア・ネパールで活躍してきたエキスパート
医師は隊長の當麻さんと町田さんの2人だそうです。

出発から13時間イスタンブール到着

2月19日6時

イスタンブールから780km震源地に近いバーチェを目指します。
町田さんの目に飛び込んできたのが崩れた建物。

そしてバーチェに到着
多くの建物が倒壊して街は甚大な被害を受けていました。
町田さん始めて見る被災地の現実でした。

街で唯一の病院に到着。
被害を受けて地震後は機能していません。

病院の前に立てられたテントがTMATの拠点です。
すぐに治療に取りかかります

初めての患者は瓦礫で手を切った50代男性
傷口を縫おうとするが手の皮が厚くて針が小さいと入らないというトラブル。
日本から持ってきた針で何とか対処してました。

テントを出てめまいで動けないと言っている患者の元へ。

余震が怖く庭にテントを張って暮らしていてその中に高齢女性がいました

どこが痛いかが分かりませんでしたが何とか見つけまして。
抗生剤が必要な感染症だろうとなりました。

尿路感染症の疑いと、腎臓に持病があるのが分かりました。
日本なら入院です。

でも「病院に行きたくない」と言っていました。
息子と共に入院した方が良いと説得。
まずは応急処置の為にTMATの拠点のテントまで連れて行きます

地震で地域医療が逼迫。入院できるかは不明でした。

テントの中へいれて抗生剤をいれた点滴を打ちます
やはり入院させたいと病院を探すよう現地スタッフに指示
1時間後何とか近くの街の病院に搬送することが出来ました。

常に迷いながらやるしかない迷いながらでも決断してやらざるを得ない

1人患者が来ました
腹部の痛みを訴えている女性

看護師の伊豫田さん。
町田さんと同じく初参加メンバー

伊豫田さんがある物を見せてくれた

おばあちゃんに怪我しなかった?と聴いて帰ってきたのがこれ。
「私たちの家族の多くが亡くなり全員が姿を消しました」

辛い話でした。それを見てまた気持ちを引き締めてました
伊豫田さんはキャリア24年のベテラン看護師
自ら志願しました
一人の患者アルズさんに寄り添ってました

故郷に親戚を探しに行ったが村は壊滅してました
親戚は未だに見つかっていません

PTSD

心的外傷後ストレス障害でした。

食事も喉を折らず衰弱していました。
体の傷だけでは無く心の傷も深いです。

改めて気を引き締めてだからこそ笑顔で頑張ろうと

昼過ぎ
現地の人が日本チームに紅茶をふるまってくれました。
温かいもてなしに束の間の休息

そこに右手を失った少女がやってきました。
毎日来る一人の少女。

メリエンちゃん4歳

第1陣から引き継いだ子です。
人懐こくてスタッフからも愛されている存在。

町田さん包帯外して患部を確認して消毒します。
メリエンちゃんは右手を失っています。

隣には父親も…こちらも腕を失っていました。

ムスタファさん
娘を瓦礫から守り右手を失ったそうです。
手術の後は塞がっていません。
治療の度に走る激痛に耐えます

しっかり処置しなければ細菌が入り感染症になります
気の抜けない治療が続いていました。

翌日
ムスタファさんがある場所を案内してくれた
瓦礫の山がありました。元家だった所でした。

寝ていたときに襲った地震家が崩れ瓦礫の下敷きになりました。
友達が助けに来てくれるまで6時間閉じ込められていたそうです。

メリエンちゃんは…

ぐっすり寝ていたのその後手がなくなっていた

覚えていませんでした。
街郊外のテント村。
メリエンちゃんは避難生活をしていました
母親と弟妹は無事
母親達は2時間で救出されたそうです。

夕方母親が向かったのはテント村の配給所
NGOなどが毎日被災者に食事を提供

避難所

2500人が暮らしています。
シリア国境から40kmの場所で戦火を逃れてきた難民もいました。

ムスタファさんもシリア出身
12年前逃れてきたこの町で手に入れた平穏な生活を地震が奪いました

それでも信じている未来がある。
私たちは乗り越えられる。普通の生活に戻れると信じています

と語っていました。
TMATの拠点にメリエンちゃんがきました

治療は新たな段階hへ。
義手を付けるため包帯をきつく巻かないといけません。

痛い!

いや…子どもの苦痛の声はキツイですね。
子どもいる者としては…。可哀想に…。

日々の治療の中で最初で覚えた日本語は痛いでした。
治療が終われば伊豫田さんたちが優しく寄り添います。
そのときは笑顔です。

看護師の伊豫田さんが思いを馳せていたのは家族でした。
長男が20歳の誕生日を迎えてました。
伊豫田さんには2人の息子がいるそうです。

家族を大事にしないとなと改めて思った
こっちに来て一番思ったのがそれ

2月22日

病院の機能が開始しそうなので薬剤を運び出してました。
閉鎖を余儀なくされていた病院が再開されることになった

この日からTMATは病院でも治療できるようになりました。
このとき伊豫田さんたちは思わぬ事態に遭遇

火傷患者が急増

次々に運ばれてくる患者達
原因は狭いテント生活でした。

寒さを凌ぐストーブの火、沸かしたお湯で火傷をする人が後を絶たない

86歳のおばあちゃんは足に大やけど
包帯を剥がすとき張り付いてしまい強い痛みが走って苦しんでました。
日本なら傷を保護する材料専用の処置をする物が色々ありますが
トルコにはありませんでした。

伊豫田さん腕の見せ所です。

日本の支援

トルコとシリア
日本も国を挙げて支援している
国際協力機構JICA

その日に救助隊派遣。
JICAは翌日に現地にはいってテント毛布など物資供与
4日後JICA医療チームがトルコに入り医療活動開始

トルコの震源地から40kmの場所にJICAの巨大医療テントがありました。
そこに述べ180人を派遣

団長は石原さんです。
トルコには特別な想いがあった

私は仙台出身
東日本大震災でトルコチームが活動したのが宮城県
被災者の家族の一員として貢献したい気持ちがある

テントの中には手術室分娩室など完備
病院さながら
更にパソコンタブレット活用して診断結果はチーム全体で共有されます

被災地の医療設備としては世界最高クラス

お互い厳しい時に助け合うのは日本とトルコの間にある
次は我々がお返しする番頭気持ちで活動している

バーチェのTMATの拠点

ベテラン看護師伊豫田さんは想定外の事態に追われていました。

火傷の傷に包帯が幹部に張り付いて強い痛みが出ているおばあちゃん。
日本のような専用なガーゼがない
こんな状況なのである物で工夫します。

目を付けたのが地元のスーパーで売っている紙おむつ
更にラップ
ラップに穴を空けます。
穴を通して体液などをおむつに吸収させるそうです。
薬はラップの上から塗ります。
おばあちゃんに貼りました

火傷の患部にしっかりかぶせるその効果は?

翌日
おばあちゃんが包帯交換のためにやってきます。
見事張り付かず剥がせました。
火傷の状態も良い感じに。

伊豫田さんのアイデア上手く行ったのでした。

おばあちゃんも喜んでいました。
毎日痛みに耐えていたおばあちゃんに笑顔が戻ったのです。

海外での被災地医療に奮闘する町田医師
そこに腕の痛みを訴える女性がやってきた
ところがこのとき通訳不在言葉が通じないというピンチに。

痛みが特定出来ません。

そこでベテラン當麻から「トムセンテストやったら?」と声が掛かります。
それで分かったのが神経より筋肉の痛みだとうこと。
筋肉の炎症の可能性が高いようでした。

トムセンテストを知らなかった町田医師。
當麻医師に助けられました

TMATでは経験の浅い医師とベテランを組み合わせています。
被災地医療で必要なことを伝える為です。

頑張っていると思うが、まだまだこれから
もっと経験積んだら良い医者になる

海外で苦しむ人を救いたいと40歳過ぎで石になった町田さん
貴重な経験を積みました。

町田さん達が向かったのはテント村
満足な医療を受けられない人が多くいます

そこに毎日通っている看護師がいました油江さん

阪神淡路大震災が彼女が被災地医療を志した切っ掛け
当時被災者の一人でした。

被災地での生活での苦労を身をもって体験していました。

テント村で気にかけている家族
寝たきりの女性とその介護している夫婦
避難生活での介護はよりいっそう大きな負担になっています。

自らも被災者だった油江さん
寄り添うことが大事だと顔を出してました。

家族からも感謝されていました。

地震時はこの状況が良くならないと思っていた
今は復興していっそう良くなったので伝えて行きたい

日本企業の支援

バーチから程近い工業団地
東洋鋼鈑の現地工場がありました。
2012年から稼働しています。

ブリキの製造販売
地元の企業と共同で運営しています。

その敷地に広がるテントがありました。
会社が被災した現地スタッフのために整備してました。

よく眠れています。子どもも地震の恐怖を忘れられた
ここが自分の職場で幸運だった
安心感がある食事に風呂もトイレも整っている
本当に感謝したい

など従業員からも感謝の声が。

工場の責任者大神さん

今回の地震が予想以上に大きく被害が甚大
会社として従業員を保護したい助けたいという気持ちから

避難生活を送る子どものために研修で使ってる映写室を開放して映画を上映したりもしてました。

日本の企業も貢献していた。

支援フェーズが替わった

トルコへの支援フェーズが復興へとかわってきました。

問題になっているのが瓦礫
最大2億1000万トン

東日本大震災の10倍になるそうです。

日本企業の力に期待

例えばコマツの重機
コマツは丸紅と共同で重機7台を無償供与

住宅支援では名古屋工業大学大学院で開発されたインスタントハウスが注目されてました。

東日本大震災大震災で仮設住宅を求められた際に開発されたそうです
仮設住宅多てっといわれて
開発

トルコに持ち込まれるよていだそうです。

TMATの活動最終日

TMATが診察した患者の記録を書いていました

自分たちの医療をやった上でそれを地元の病院に引き継ぐ
それが1番大事なことで求められている

総診者数561人
患者達と別れの挨拶をしてました。

皆寂しそうでした。
火傷を治療したおばあちゃんの姿も
メリエンちゃんも来ました

メリエンちゃんとはすっかり深い絆が出来ていました。

始めて被災地での医療を経験した町田さんは

今まで漠然として思っていた災害現場のイメージが
1例なので知らないことだらけだが具体的になってきた
もっともっと参加してやっていきたい

と語っていました。

感想・まとめ

トルコ・シリア大地震の日本支援についてはあまり知らなかったのでそれをみる事が出来たのは良かったなぁと。
徳洲会は凄いですね。

しっかり現地で活躍してトルコの方々の助けとなっていたというのは素晴らしいなと思いました。

もっと知られても良い活動だよなぁとも思います。
今回初めて知りましたしそれが知れただけ今回のガイアの夜明け視聴は意義があったと思います


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