ガイアの夜明け 感想

『【よそ者】は老舗を救えるか?』~今日の「ガイアの夜明け」感想~

※この記事はガイアの夜明けを見ながら自分のメモ書き的な感じで書いている記事です。

今日のガイアを3行で

・老舗をよそから来た人が立て直そうとする挑戦を取り上げていました。
・橘吉(たち吉)は投資ファンドから送り込まれた社長がブランド力復活を目指し動いていました
・永楽屋では14代目の婿養子が色々なチャレンジをして立て直そうとしていました。

たち吉(橘吉)の再生

1752年に京都四条に創業した食器ブランド「たち吉」
奥ゆかしさが売りの高級食器として人気を博し1955年には顧客は30万人。
140年続く旅館などでも器を使っていました。ただ「こんな細かい仕事は今は・・・」と言われてしまうほどブランド力は落ちていました。

1976年にはイタリアにも出店。海外に16店舗になりました。
1992年には売り上げが270億円を突破。バブル時代で儲けまくりましたが、バブル崩壊で高級食器が売れなくなりました。
そこに安い中国製が大量に入り込んできたため低価格路線へ転換してしまいます。
すると今までの高級路線のファンが離れて経営が急速に悪化します。負の連鎖に入りました。
そして債務超過となり、今年2月に投資ファンドが支援してくれることになりました。

支援してくれたファンドは「NHC」というファンドです。

今後の方針

たち吉ブランドの再生

今一度たち吉が輝けるブランドになるため努力する!
創業者の同族経営263年の歴史に終止符がうたれました。
しかし300人の従業員は殆ど残れたようです。

京都の繁華街四条通にあるたち吉本社ビルがあります。本店を構えていた1Fは外国アパレルに貸しているそうですが。
これも衰退の歴史のひとつということでしょうか。
そこに投資ファンドの幹部が集まります。

新商品チェック

商品開発はたち吉一筋の白武さん。
色々なデザインの食器を作りましたが、大漁の駄目出しが出ました。

レンコンの小皿「縁起物なのでそれを感じて貰えれば」
しかし、説明のパンフレットに「縁起物」という説明がない

引き出物用セット。20代~30代の夫婦をターゲットにしている割には昭和の雰囲気漂っていたり。
売れるから良いじゃないと食い下がるけど駄目出しは続きました。

ただ安物感はぬぐえず、「この柄とか形ならたち吉の名前を出せない」と言われました。
ブランド力を復活させるので安っぽいものはいらないのです。

生え抜きとよそ者の対決となりましたが、「立て直したいという思いは一緒」です。

投資ファンドから送り込んだ社長は渡邊さん。元三越の営業戦略責任者でした。
その社長が掲げたのが気が利く 品がある
ブランド力を戻そうというものですね。
「今までは負のスパイラルで動いていたが、プラスのスパイラルに変えたい」
と意気込んでいました。

たち吉は138の百貨店に売り場を持っています。
売り場から建て直すことに・・・しかし早速問題発生。

どんぶりみたいな器のふたを閉めても中の柄がはみ出しているという情けない食器がありました。
安物ならよくありますが・・・早速商品開発担当を呼び出し「みっともないやろ」と怒る社長。
かつてのたち吉ではあり得ない失態でした。

製造の担当役員に連絡を取り「商品本部の気のきかなさに怒りを覚える」とまで。

社員達にかつてのたち吉のブランドの誇りを取り戻して欲しいという強い思いからです。

開発担当の白武さんも長年商品開発をしてきたが、近年安物に走りすぎていて、たち吉らしさを失っていたことを痛感していました。

巻き返しを図るために、岐阜県土岐市の美濃焼の産地へ。
たち吉は自社工場を持っていませんが、食器などのデザインを考え全国各地の窯元に作って貰っています。

その中での美濃焼の窯元。30年前に付き合いを始めた窯元でしたが、たち吉が安物に走ったためこの10年取引がなかったところでした。
そこにかつての高級路線に戻そうと久しぶりに作って貰うことにしました。
「紅志野」の大皿です。

溝を掘った中に違う色の土を入れる高度な技法が使われています。綺麗なピンク色で、手作りのため一皿一皿表情が違います。
そして「火色」と呼ばれる色むらがありまして、それが良い風情に。手作りの味わいです。

窯元も「これが分かって貰えるとありがたい」と語っていました。

何でもかんでも均一に大量にが今の時代ですが、こういう個性は高級品には重要ですからねぇ。
しかし大きな問題も。
焼き上げるときに亀裂が入り、売り物にならないものが大量に出ます。
ブランドを守るためにも「僅かな傷でも出荷しません」早速割っていました。

窯元としても「たつ吉」の復活は望んでいます。
というのも「売るところが無い」という事情があるからです。
たつ吉が取り扱ってくれれば店舗数が多いわけですから店に並ぶのは確実です。

「いいものを売ってくれるシステムがないと、売るところが無いとどうしても出来ないし作らない」

全国にいる職人達も老舗の「たち吉」の再生を願っているようでした。

そうやって全国の窯元に発注した食器が揃い年末商戦の準備が整っていました。
全国の窯元に作って貰った新作商品の数々

美濃焼(紅志野)の大皿も間に合ってました。1枚1万800円。

店員に商品の特徴を伝え、宣伝文句に。早速興味を持つマダム達もいました。
ピンク色の大皿は食卓を華やかにすると評判も上々だそうです。

「今まで色々な商品を大量生産してきたが一手間加えた物を大事にしながら産地と客の橋渡しをしたい」
と、開発担当の白武さんも語っていました。

生え抜き社員とよそ者社長ですが、思いはひとつでした。

最後に社長が。
「社員達は長年非常に厳しい状況の中で働いてきた。みんなこの会社が好き。この会社にいて良かったと思って貰えるような会社にしたい」と語っていました。

永楽屋の再生

創業400年の手ぬぐいメーカー「永楽屋」
12.5mで1本の手ぬぐいなんて商品を作ったりして話題を呼んでいるようです。

織田信長の御用商人がスタート。
そのときに「永楽屋」とう屋号と「細辻」という姓を与えられたそうです。
「細辻伊兵衛」という名を代々受け継ぐそうです。
1701年は木綿の布地でしたが木綿需要が高まり永楽屋は京都の大富豪へ。
明治時代10代目で手ぬぐいを作り始めました。
色々なデザインの手ぬぐいを作りましたが、昭和になり手ぬぐいからタオルの時代に。
12代目はタオルを作り始めて最初は好調でしたが、その後低迷。
現在14代目が引き継いでいます。

14代目は12代目の娘と結婚して養子縁組(婿養子)となった「よそ者」でした。
最初は「逆玉の輿」を狙っていたそうですが、全く逆で苦労するために来たような物だそうな。
タオル事業の失敗で破綻寸前だったそうで・・・。

この14代目。見た目は51歳とは思えない・・・なんつーか・・・アーティスト的なチャラさあるんですが色々なアイデアを出しているようです。
手ぬぐいで、掛け軸、着物、扇子なんてのを作ってみたり。
「老舗と言っても400年前はベンチャー。代々革新を続けて行かないといずれは駄目になる」
という格言まで!

なんか格好いい人でした。

さて、14代目が立て直しに使ったのが、倉庫に眠っていた手ぬぐいでした。
明治から昭和署筋作られたデザインですが、その時代その時代にあった面白い絵柄がたっぷり。
それの復刻版をつくりました。

そして今までは卸ばかりで小売りはしていなかったそうですが小売店を展開。
今では京都に10件店を構えるまでになりました。
永楽屋の手ぬぐいは2000円弱と若干御高めですが、京都土産として買っていく人も多いようです。

勿論品質は折り紙付き。
永楽屋の手ぬぐいを染めているのは馬場染工場というこちらも100年以上の老舗。
型友禅と呼ばれる着物を染める技法を使っています。
デザインに合わせて型を作り色事に染めるという技法。むら無く均一に染めるには熟練の技が必要です。

永楽屋の手ぬぐいは生地が細かく織られているそうで、「手ぬぐいは毛羽立っている物が多いが、永楽屋の生地はぱりっとして綺麗に行く」と職人さん納得の手ぬぐい。
生地から染め方まで拘った手ぬぐいです。

更に新しい挑戦として、「手描き友禅」の手ぬぐいの開発も。
手書きなので大量生産はできませんが「一品物」世界に1つしかありません。
友禅絵師一筋55年の職人さんが1枚に2日もかけて作っていました。
特殊染料なので洗っても色落ちしないのは当然です。

更には、海外進出も行おうとしていました。
というのも、イギリスの国立博物館であるヴィクトリア&アルバート博物館から「手ぬぐいにとても興味がありミュージアムショップで売りたい」という注文が来たからでした。

そこで欧州進出ということで、14代目がイギリスへ飛び、更にはパリにも飛んでいました。
歴代の細辻伊兵衛でもやった事の無い海外進出です、

「今までなかった物を海外にだから伸びしろはかなりあると思う。次の代に託すまでは挑戦する。私はその役割だと思う」と熱く語っていました。

ミュージアムショップの一角に送ってあった手ぬぐいがあった壁掛けとして5000円程度で売られていました。
実用品ではなくインテリアとしての扱いでした。

欧州ではインテリアとしてなら売れる可能性があるというのは分かりましたが実用品としても広げたい。
そこでパリにいる工芸品バイヤーポールさんの元へ。
ポールさんはアジアの工芸品ばいやーですが、ラッピング用品の見本市を開こうとしていました。


手ぬぐいでおもむろに酒のボトルを包み始めてこんなんどうだ!と売り込んでみたらえらく感心を得まして。
売って貰えそうな雰囲気に。
「日本人は手ぬぐいや風呂敷など日用品にも美を求めるのが凄い」と感動していました。

14代目。
「次の世代に繋げるには海外はなくてはならない物。そのために今やるべき事を見つめ直してやっていきたい」と海外進出を本格的に行おうと考えているようでした。

さて、手描き友禅手ぬぐいも完成。2枚と同じ物がない一品物
日本の四季を感じて貰おうと12ヶ月のシリーズで全部揃うと見応えのある物になります。
1枚1万8000円。反物のように巻いて高級感を出しました。
京都の百貨店で売り出したら1週間で7枚売れたそうです。

よそから来た14代目が新たな老舗の歴史を作っていくと締めくくられていました。

最後に

400年の企業も最初はベンチャーと言う言葉もあったが時代の変化に対応してこれたから生き残れた。
中の人で上手く行かないなら外から取り入れる。常に新しい物を取り入れる姿勢が重要と締めくくられていました。
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