ガイアの夜明け 感想

『ガイアが見つめた20年 そしてこれから…』【今日の「ガイアの夜明け」感想】

今日のガイアを3行で

  • ガイア20周年という事で取材した人を追っていました
  • あさひ銀行の頭取、ユニクロの若きエース、風車を建てた人
  • それぞれの20年は色々な変化がありました

※この記事はガイアの夜明けを見ながら自分のメモ書き的な感じで書いている記事です。放送内容を引用してます

ガイアの夜明け20周年

2002年4月に始まったガイアの夜明け
最初の回は「金融危機を乗り切れ」からだったようです

2002年は金融機関が不良債権を抱えていて企業の経営破綻が相次いだ時期
暗黒期ですね。バブル崩壊後です。

日本経済真っ暗闇という状態

夜明けとつけたのは暗闇から抜け出す様をおカメラに取ろうという思いから

だからガイアの夜明けだったんだなぁと改めて。
多くの人や多くの現場を取材し続け20年。
トヨタとかユニクロととかの大企業
日本の中小零細な町工場
新しいビジネスを始めるベンチャー

色々密着してました。
ガイアが見つけた20年は何だったか
20年から次の時代へのヒントを探るというのがテーマのようです

これまで取材してきた人のその後を追いました

巨大銀行の100日戦争

ガイアが最初に放送した内容です。
この頃はまだ見てなかったなぁ…。
蟹江敬三さんのナレーションが懐かしい。
一番安心出来る声でした。
役所さんも懐かしいなぁ。お若い。

第1回の主人公は、あさひ銀行頭取の梁瀬氏(57)
就任早々100円台だった株価が70円台に落ちて信用不安に。
大手銀行だったあさひ銀行が破綻と言われるまでの銀行になってしまってました。
いくら反論しようにも預金者は消えました。

2002年は日本版金融ビッグバンの最後の時期でした。

東京銀+三菱銀=MTFG
東海銀+三和銀=UFJ
第一勧銀+富士銀+日本興業銀=みずほ
さくら+住友=三井住友(SMBC)

など経営統合で続々生まれました。
更にMTFG+UFJになりましたしね。

そしてペイオフ解禁

顧客の預金は全額保護⇒1000万円までになりました。
これにより定期預金を解約する客が大勢でました。
銀行は引き留め必死。

そこであさひ銀行は5300億円の赤字決算を出します。
4000億円の不良債権処理を一気に進めることに。

変革の180日と名付けて挑んだのでした。

梁瀬さんは会長のポストを無くしたり、役員室を廃止して各部署に降りて貰ったり。
色々と再生をしようと意識を変えようと奔走。
その姿をガイアに見せていました。

そしてあさひ銀行が大和銀行と統合し生き残るのを模索していた時期。

あさひ銀行臨時株主総会が開かれました(1月24日)
最後の株主総会でした。

株主から「(あさひ銀行)資産は30兆円。大和が15兆円。なぜ半分の銀行になんで吸収される?」
などと厳しい質問も飛んでましたが。
大和銀行グループとの経営統合が承認。
最後の総会が完了しました。

2002年3月1日 あさひ銀行大和銀行グループ経営統合

ここで1回の放送は終了

この統合で誕生したのが「りそな銀行」でした

私もお世話になってます。りそなは。
りそなの株主だったりしますし。
株安いので買いやすかったので。というのはさておき。

2003年には経営危機となり2兆円の公的資金注入されて国有化
まぁ、凄い批判浴びましたよね。
その頃が経済混乱最終期で、薄氷を踏む経済状況でした

金融危機の後、総合電機メーカーの危機などが大発生。
日立やら東芝やら云々が巨額の赤字叩き出しました。

そして大企業が正社員を減らして非正規を増やしてコストを減らしてやってきた

そのおかげで産業が生まれなかった

今に繋がる問題を生み出しました。
日本が終わった時期でした。

20年後の梁瀬さんに話を聞いた

梁瀬さんは77歳になっていました

当時どんな思いで銀行の舵取りを?

金融危機の引き金ににはならないぞという信念。
絶対潰さないぞとそれだけ。やれば出来ると思った。計算したら。
不良債権を一挙に処理すれば巨額の赤字が出るが赤字を怖がるから片付かない

梁瀬さんりそなの船出から1年でりそなHDの副社長を辞任しました。

公的資金入れてその代償が代表者辞めること。代償で済むならしょうがないという程度の話。全く想定外
私に出来る事は辞めることだけだった

なるほどなぁと。
まぁ、その後オリックスの社長やったりTDK社外取締役になったりと経済の第一線で活躍して勇退したようです。

りそなを取材し続けたガイア

ガイアは旧経営陣が退陣した後もりそなに取材を続けてました。

りそな攻防200日
放送したのは2年目のことでした。

実質国有化で再生できるかがテーマ。

再生を負かされたのがりそなHD社長の細谷氏(58)
JR東日本の副社長でした。
国鉄民営化に携わり、再生させた手腕を買われました。

旧態依然の体質
普通のサービス企業に変身しよう全行員に呼びかけた
普通の会社だと思わない
金融庁の判断が全て。客や市場の目線に関心がない

りそなを改革すると宣言。
まずは苦情に目を通してました。
言葉遣いや説明不足応対の苦情が多いようでした。

「手数料を取り忘れたら、もってこいという」

糞みたいな商売してましたねぇ。

細谷さんが社員に言ったのが。

りそなの常識=世の中の非常識。世の中の常識=りそなの非常識

改めて銀行業が金融サービスだということを考えて欲しいと訴えました。
予告無しに支店を巡る抜き打ちチェックを繰り返してみたり。
小さなこともコツコツ続けていました。

19年後の今りそなグループ本社を訪ねる

りそなグループ東京本社を訪ねてました。

現りそなHD会長は東さん(64歳)
東さんはあさひ銀行時代は梁瀬さんのすぐ側にいました。
細谷会長の直属部下として支えてきた人物だそうです。

りそなショックで入ってきた公的資金は2兆円。
実はそれ以前に公的資金が1兆円投入されていました。
なので3兆円。これを返済する必要がありました。

返せないのではと言われていましたが。

12年後2015年 12年かけて3兆円を完済

りそなは17期連続黒字を叩き出していました。
規模はメガバンク3行に及びません。

個人中小向け貸出金割合

りそなは83%
大手は57%

りそなは、特定分野に特化した銀行になっていました。

本社内部について

役員フロアは硝子張り。
見通しの良い役員室。
会長も社長も横並びでした。

ドラマみたいな派閥を作るのは無理な模様。
そんな余裕もないと笑っていました。

我々の大切にしているところを案内

絶対に見て貰うと思った場所があるようです。

細谷さんが座っていたデスクがありました。

細谷さん2012年に逝去。67歳でした

りそなグループの社員の6割以上は2003年のりそなショック以降に入ってます。
りそな改革の時の気持ちを忘れないようにと、新入社員の研修で見せる資料がありました。

りそなの常識=世の中の非常識

細谷さんがりそなにやってきたばかりの時、語りかけた映像

どうやって次の世代に残していくか
凄く重要なことになっている

細谷イズムが解る場所
枚方T-SITEにりそな銀行枚方支店があります。
普通の銀行とは全く違っていました。

ゆっくりと客に相談して貰える空間作り

窓口では行員が立って対応してました。
座って迎えるのが失礼じゃないかという思いからだそうです。

細谷さんの「銀行はサービス業」からはじまっている

15時過ぎでも店に客がいました。
営業時間が平日は17時までなのです。
一部の店舗では土日祝日もやってます。

常識破りの営業時間でした。

その第一歩も取材していた

19年前
銀行の激戦地 新宿西口である試みが行われていました。
支店の窓口は15時に閉まるのが常識でした。

15時から勘定が合っているかを確かめて。

一算互明と掛け声でしめていました。

しかしりそなはそこから本番という話で。
平日の営業時間延長となっていました。
17時から19時まで営業します

17時窓口再開一旦締めて再開するという方式だったようです。

窓口は男性が担当で女性行員が教えてました。
互いに戸惑いながらの手探り状態。

しかし変革を恐れないのが細谷イズムでした。

現経営トップはどう考える?

りそなショックを経て変革のDNAがこのグループにある。
必要なら躊躇なく変える。客のために

りそなグループ大阪本社

そこにいる藤原氏も細谷イズムを継承してました。
30年前大和銀行に入社

自信を持って入社したそうですが、銀行はヒエラルキーが強いようで
銀行は絶対変わらないだろうと折れてしまい。
支店配属のとき辞めようかと思ったほどだそうです。

しかし入社11年目の細谷改革が転機

新しい銀行像をイメージ出来る者を形にせよと言われて喜んだそうです。

地域との連携がテーマ

藤原さんが取り組んだのが、天神橋筋商店街限定の定期預金だったそうです。
支店限定の定期預金

証書を入れる封筒に天満宮の御朱印を押すことを発案
御朱印は1つ1つ藤原さんがお手で押したそうです。

銀行ではありえない藤原さんの試みに失笑の嵐
だったようで。

売れる訳無いと笑われたようです。

しかし蓋を開けると11億円も売れたようです。
縁起が良いので大口もあったようです。

更には地元アーティストの作品をカードに採用してみたりと
それが大きな評判に

地域の活性化に繋がる企画を500以上起ち上げたようです。
藤原さんの試みを後押ししたのが細谷さん。
1-2ヶ月に1回くらいこんなことやってますと報告してたようです。

良いことしていたら絶対誰か見てるからな
この活動を辞めないで欲しい

と言ってくれた走です。

約束をしたのでいまでもずっと津続けています。

三重県の建築資材の会社高山化成。
企業の中に入り込み業務改善などを支援してました。

新たなサービスです。
細谷イズムが進化していました。

今までに無い銀行との付き合い
貸し借りだけの付き合いではあり得ない内容でした。

3月18日にりそなグループに新たな会社
みらいリーナルパートナーズが出来ました。

中小企業を支援する会社だそうです。

新しい銀行像を示していました。

作るのはあなたたち。次世代の人たちに残れたら嬉しい

細谷さんが残した新たな銀行像
これからも受け継がれていきます

海外で闘う人々

番組開始から20年海外で闘う人たちも追い続けてました。
世界70ヶ国以上にいきました。

レアメタル求めて4000kmキルギスに言った人
無印良品の欧州進出(ドイツ・フランス・イタリア)
食糧危機の備えて立ちあがった男としてアルゼンチンに行ったベンチャー
最も多く訪れた国は中国でした。

2002年取材
13億人市場をねらって各国が進出してました。

トヨタも総力を上げて挑む中国進出でした。
トヨタ中国で自動車生産開始
中国本格進出の瞬間に立ち会っってました。

セブンイレブンも2005年に進出。

ユニクロ中国進出

ユニクロは2010年上海旗艦店をオープンさせます。
2010年5月ユニクロ中国進出

黒瀬さん(38歳)が店長に。

1995年UNIQLO入社
銀座店店長もして売上げ日本一となりエースでした。

その頃(2010)のファーストリテイリング
世界7ヶ国に進出して売上高6850億円でした。

海外に打って出ていた時期。
柳井さん

世界中を目指してやって欲しい
民族大移動
日本だけで良いという人は我が社にはいりません

黒瀬さん着任早々苦戦してました。言葉も通じません。
中国人従業員を300人を採用。
教育してもしても商品を雑に扱ったり掃除が出来てなかったり
難しい用でした。

上海は万博が行われるなど凄まじい勢いで発展。
給料もウナギノボリの時代で消費の最前線となっていました。

深夜まで作業が続くユニクロ旗艦店
中国人授業員の月給4万円で上海では平均的でしたが不満が爆発します

仕事が忙しすぎるので自分の時間が無いとか、連日の残業で辞めたい人が続出
ブラックもブラックですからねぇ。

既に他の会社に行っている人までいました。

採用した従業員300人中60人が退職

日本では考えられない事態が続き追い込まれた黒瀬さん
家族を残しての単身赴任。
誰もいない部屋で自問自答。

日本では当たり前の事が通用しない
叱ることが多いと思う日本では。そうではなくて認めて少しずつ指示してあげる。指し示してあげる事が必要

すぐに行動します。
自分から積極的に現場で動き見本を示し、スタッフの話にも耳を傾けて信頼関係を築き上げました

そして店が一つになっていました。

オープン2日前柳井社長がやってきました。
地元メディアを集めたお披露目会

黒瀬さんは柳井社長に従業員の給与を上げたいと直訴。

しかし「利益を出さないと給料は上がらない」と突っぱねられました。
流石経営者ですよね…。

オープン当日

中国一番の品揃えと聞いて客が殺到
初日売上げ目標より10%多かったのでした。
大成功だったようです。

ファーストリテイリングの今は。
海外展開は20以上の国地域。売上げ:2兆1329億円となりました。

12年後黒瀬さんは何をしている?

台北にいました。

台北のユニクロ台湾の責任者となっていました。
あれからもずっと海外で勤務
旗艦店を軌道に乗せて2016年台湾法人のCEOに就任。
2020年ファストリテイリング執行役員に。

台湾の店はどんな感じか

店内の雰囲気売っている商品はほぼ同じ。
違うところは台湾地元企業とのコラボ商品があったり。
日本から来た企業なのでイメージ出来るような書物を置いてう日本生まれのブランドも強調したりとか。

黒瀬さんは台湾のCEOとして69店舗に拡大
中国語もバリバリになっていました。

黒瀬さんが力を入れるのが人材育成。

世界で通用する人物になれと直接語りかけていました。

私の人生で一番の経験は海外で仕事が出来たこと。人生は1回限り

黒瀬さんが大事にしている物

経営者になるためのノート

柳井さんの本です。
ユニクロ流の経営哲学が詰まっていて空いているスペースに書き込めるようになっていました。
黒瀬さんの書き込みは凄い量でした。

2010年旗艦店を変えた後にこのノートを貰い色々な経験を書き記したそうです。
大切な宝物になっているようでした。

成功したことは書いていない。
悩んだことだけを書いている。
皆同じような悩みがあると思うので教える

現地のスタッフが一堂に会する会合。
柳井さんのビデオメッセージが出てました。

日本を中心としたオペレーション仕組みで世界で闘っている
現状以上の成長はそれでは無理
我々が変わらないと行けないのはグローバルに通用する世界の会社に

更なる成長を遂げるためにいっそうグローバル化を進めるという宣言してました。

これからが再出発。
現場を大事にしながら仲間と共に世界一を。

と、黒瀬さんは語っていました。
12年前海を渡った黒瀬さん。この先も世界で闘います。

環境問題

2002年9月放送島が沈む
キリバス共和国のお話でした。
番組当初から追いかけてきたテーマの一つが環境
地球温暖で沈むと言われていたキリバス
平均海抜1.5m
波風から家を守る物が何もありません。

温暖化は日本にとって遠い国の話で身近な感じがしませんでしたが着実に忍び寄ってきました。

2003年6月 風と共に生きる

風力発電の話でした。
再生可能エネルギーの本命の風力発電をいち早く取材。

当時三菱重工業長崎造船所で製造されていた羽工場ににカメラが入ったり。
1枚1枚熟練の手作業で仕上げてました。
先駆者である欧州メーカーに負けないように頑張っていました

青森県の鰺ヶ沢にも風車にとりつかれた方がいて。
サラリーマン生活を捨てて1本の風車に人生をかけてました。

市民が出し合ったお金で稼働する風車。

グリーンエネルギー青森事務局長

三上さん
24年間労働金庫に勤務
事業に専念するため10月退職。

社会にはリスクとを取る人が筆よう
貢献する人がいない閉塞の大きな要因

市民による風車
市民による市民のための風車を創ろうと奔走。

目標は青森県内で出資金1億円でした。
予定利回り2-3%のリターンがあると訴えますが出資は伸びませんでした。
鰺ヶ沢全戸にビラを待が出資申し込みは4人でした。

そこで風力発電が盛んだったデンマークを訪れます。
市民の手による風力発電が根付いていたからです。

出資者の数は?

200人の島民が1人平均70万出資していて年間に5万の配当がある

結構割が良いですよね。
そういうヒントを得て出資金集めに奔走。
何とか目標額になりました。

青森の小さな漁村で風力発電が生まれた瞬間でした。

19年後どうなったか

日本の発電用風車は2002年には466基でしたが、2574基に増加。
しかし1から創るメイドインジャパンの大型風車はないという状況
三菱重工などの商社は自社開発から撤退してました。
欧州勢に負けたのです。
厳しい現実ですね。

三上さんの風車の今は

19年後も同じ場所にありました。
しかし止まっています。

何があったかと言えば…前日に東北地方を震度6の地震が襲っていたのでした。
安全装置が働き止まってました。

三上さんは?

白血病で療養して一旦良くなったが再発して亡くなってました。
三上さんは4年間(2018)に逝去。61歳でした。

三上さんが拘っていたこと

2018年3月に出資金を返す計画

返せなかったのかと思いましたが、2012年2月で完済した
6年早く返済してました。
約束通り出資者から集めた資金を利息をつけて返し終えたとのこと。

凄いですねぇ…。

三上さんがいなかったら市民風車は出来ていない
今日のようになっていない
三上さんの思いはこれからも回り続ける

20年で大きく変わったことの一つ
環境への取り組みがあります。

1970年代石油ショックがあった
中東から原油がこなくなり価格が4倍になった
今も起こりそうですが…。

省エネにより欧米に比べて上手く乗り越えてきた日本。
エネルギーを効率的に使う事で経済成長を遂げた自信がありました。
日本は環境優等生だと思ってきたが…

2000年~2010年代に欧州連合が脱炭素でルールを作りました。
世界を巻き込んで。

日本は石炭を焚いている?
化石燃料をこれだけ使っていると言われて悪者に。
更に2011年原発事故があって原発が殆ど使えなくなった

逆回転の中で環境への取り組みが欧米から遅れていると言われてしまうように。
元に戻そうと最近頑張っていますが…というところ。

ウクライナ情勢でまたどうなることやらですが。

揺れるエネルギー政策

2011年「エネルギー攻防戦」として太陽光発電を取材していました。
これは見て感想書いてました。

今日のガイア「エネルギー攻防戦~密着孫正義の150日~」
※この記事はガイアの夜明けを見ながら自分のメモ書き的な感じで書いている記事です。
 誤字脱字、支離滅裂となってますがお気になさらず
太陽光発電も風力発電も「再生可能」とか「脱原発! 放射能を出さない」とかで注目されていますが。
そんな...

主人公は孫社長でした。
内容は上の記事で。

100日の取材期間中にメガソーラーは作ってませんでしたが。

あれから11年

SBグループでは苫小牧を始め
47箇所メガソーラーを建設。
20万世帯分の電力を発電しているそうです。

SBEnergy

そんな会社も起ち上げてました。
風力、水力、地熱発電、バイオマスにも手を広げています。

エネルギー事業を負かされたのは三輪さん

ついこないだも東京や東北地方で電力が逼迫してました。
それを受けて。

再エネは必ずしも安定していない
需給のマッチング
ITを結びつけて工夫してやりたい

エネルギーの未来は次の世代へと引き継がれていました。

鳥取米子市とっとり自然環境館

メガソーラーの隣にあります
地元の子どもがいました

子供たちが創った模型
未来のエネルギーを生み出すアイデアが一杯。

ブランコに乗った動きで発電するとか
山羊が草を食べる動きで発電するとか。

未来を担う子どもたちも環境について

将来地球温暖化によって色々な影響が出そうで不安
二酸化炭素が出ないようにするのとなるべく沢山発電できたらよい

なんて語っていました

ガイアの主人公達が繋いできた思いが次の世代に受け継がれていくという形でした。

ガイアの夜明けがスタートして20年で経済の現場で闘う2000人以上を取材してきたそうです。

環境がどんなに悪くなっても打開しようと奮闘する人たち。
暗いニュースが多い昨今だが夜明けはやってくる
そう信じて挑戦する人たちの姿を見つめていきたい

と締めくくられていました

まとめ・感想

スペシャルだったので長かったですが。
20年で何が変わったんだろうなぁとも思ってしまいました。
日本がただただ取り残されている様だけが見えてきてしまい。
ちょっとゾッとしますね。
20年前より悪くなってますから。確実に








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