ガイアの夜明け 感想

『会社が消えた…その時、あなたは? ~三洋電機“消滅”から10年~』【今日の「ガイアの夜明け」感想】

『会社が消えた…その時、あなたは? ~三洋電機“消滅”から10年~』【今日の「ガイアの夜明け」感想】
ガイアの夜明け


今日のガイアを3行で

  • 元三洋電機の方々のお話
  • 新たに家電製品を作る会社の人もいれば別会社で頑張る人もいました
  • 三洋電機の思いは今でも残っているようです

※この記事はガイアの夜明けを見ながら自分のメモ書き的な感じで書いている記事です。

元三洋マンの会合

東京台東区のレストラン
集まってくるおじさん達
かつて同じ会社で働いていた同僚の久しぶりの再会です。

最先端の商品をいっぱい出していたけど10年前に消滅した会社

「いつも技術は早いんだけども育て方が下手くそ」
「技術力は凄いけどマーケティング力が無い」
「作るのは良いけど売るのが下手」

それがSANYOこと三洋電機

2011年4月パナソニックの完全子会社になり三洋ブランドは廃止
売上げ2兆円企業が消滅

直近でも大きな会社が潰れてういる

レナウン

負債148億円 2020年5月に経営破綻

エアアジアジャパン

負債217億円 2020年11月に経営破綻

大きな会社でも安泰ではありません。

「会社って何なのかその頃人生だった」

元人事部長岡本さん
元技術開発雨堤さん携帯電話に革命をもたらした技術者
若きエリート経営戦略の人
元営業亀井さん

彼らのその後はどうなっているのか…

株式会社シリウス:亀井さん

去年9月
有楽町ビッグカメラ
元三洋マンの亀井さん(元営業部)がいました。

店長にご挨拶

今は小さな電機メーカーの社長

「この4つの機能がある。ウイルス抑制、除菌、脱臭、集塵」
空気洗浄機 ウイルスウォッシャー

シリウスが作っている次亜塩素酸空気清浄機

何が何でもヒットさせたい理由がありました。

シリウスとは

「太平洋、大西洋、インド洋、世界に羽ばたく三洋電機だから
 国内では一流メーカーに敵わないけど海外ではSANYOが有名な国は結構ある」
「三洋電機の名前は名乗れないけどポリシーやビジョンは引き継ぎたい」

シリウス八潮営業所倉庫兼営業所です。

今も三洋時代の思い出の品を大切にしている亀井さん。
三洋時代の名刺でした。

「特命担当課長。特殊任務を仰せつかっていた」

国士舘大学時代は柔道をしていて、大物代議士の秘書も務めた。

2009年モンゴル政府との交渉も
三洋ブランドを世界中に売り込んだ

三洋電機の崩壊を知ったのは出張先。

「我々は末端の人間だったので
 幹が倒れているのも分からないでいた。
 倒壊したときは、悲しかった。シンボルがなくなったようなイメージ」

三洋が崩壊してからシリウスを立ち上げました。

シリウスの社員の平均年齢は53歳
13人の社員のうち7人が三洋電機です。

「三洋電機を辞めた気がしない。小さい三洋電機になった」

三洋電機が消滅したとき社員の多くが行き場を失いました。
その中には現シリウスの社員の宮崎さんも

社員10万人のうちパナソニックに移籍は7000人

宮崎さん
「あなたの行くところがありませんと最後はなった
 それもしょうがないかなと。生き残るには」
「周りの人も生き残りたいだろうし」

シリウスに入社したのは昨夏。
三洋を辞めた後やりたい仕事がなく燻っていたら声をかけられたそうです。

コロナ禍の中、亀井さんは三洋の社員を2人採用してた
元々は妻と2人でやっていた会社で余裕があるわけでは無い

今まで一番売れた物

クリーナーヘッド スイトル

犬の小便など今までなら雑巾で拭いても尿の匂いが残ったりしてましたが。
水道水をタンクに水を入れて掃除機と繋ぐとノズルの先から水が噴射。水圧で綺麗にします。

と、いう商品。

2017年発売で8万台売れた稼ぎ頭

しかしヒットも長く続かず業績低迷。

だけど元三洋電機の場所を無くすわけにはいかない

空気洗浄機をヒットさせなければならない理由です。

ちなみに空気清浄機。
亀井さんが売り歩いた三洋電気の商品だったようです。

当時時代を先取りしていたそうで
除菌水を入れてフィルターで吸い上げて。
空気を透過させてウイルスや菌をやっつける仕組み。

しかし当時は鳴かず飛ばず

それを改良したそうです。
食塩を入れ次亜塩素酸の濃度を高められるようにした

まぁ、次亜塩素酸は…というのは置いといて。

亀井さん
「元三洋マンの手で育てた本家本元の子供なので三洋電機10万人の元社員が注目」

高校生に売り込み?

埼玉県八潮高校に亀井さん
亀井さん何を?

電機製品を持参してました。
学校には物づくりに興味がある2年生がいました

亀井さんこの日はリクルート活動

「従業員が13人…7人が三洋電機出身。三洋電機ってご存じですか?」

と、説明中に聴いて見ると誰もSANYOを知りません。

三洋電機が消滅したのは幼い頃。誰も知りません

「パナソニック、東芝、三菱、シャープは聴いたことある
 それと並んで三洋電機ってあった」

懐かしいですねぇ。
ラジカセも紹介していました。

今の高校生は使い方も知らないようでした

三洋電機はどう言う会社だったのか

様々なヒット商品があります

最初のヒットは噴流式洗濯機(1953年)
側面に付いたプロペラで水流を起こして汚れを落とせるようになった。

1971年ズバコンという超音波で信号を送りチャンネルを変えられるリモコンっぽい何かが。

リモコンが広がる切っ掛けになったそうです。
そんな画期的な製品をヒットさせて日本屈指の総合家電メーカーに

しかし2000年代以降
大型液晶、半導体の巨額投資に失敗
多角化も裏目に

経営が悪化していきます。
そして2011年パナソニックの完全子会社に
事実上消滅しました。
10万人の社員の多くは居場所を失いました。

再び高校での説明

埼玉県八潮高校

「このおじさん21年三洋電機にいた。三洋電機のしくじりを見てきた」

しくじり先生みたいなことを言ってます。
亀井社長はヒット作をアピールしたりと頑張ってました。

高校生も
「聴いたことの無い会社名だったが有名な物を作ってると知った。
 家に帰ったら調べて見ようと思う」

そんなことを言っていました。

帰りの進路指導室では。
コロナ禍で就職先が決まらない3年生を1人採用して欲しいと相談があったようです。

亀井さんは即断即決引き受けました

「金の卵だと思います」

会社大丈夫なのかな…

10年前消滅時に行き場を失った人

元三洋電機で事務の石田さん
小学生の娘を抱えるシングルマザーでした。

すぐに就職活動を始めたが…40歳という年齢で20社以上で不採用

「子供が中学生にになり高校受験もあり
 色々な事がこれからだと思ったときに
 仕事は絶対しなきゃいけないと思って…」

途方に暮れていたとき亀井さんに誘ってもらい
営業所長として忙しい日々。

石田さんの休日はお酒で息抜き

リモートでの飲み会

画面の中には三洋電機時代の仲間達
仕事子育ての悩みを相談してきた友人達

「三洋電機の商品は残っていないよね」
という問いかけに。
トースターがあったり皆何かしら三洋電機の品物を持ってました。

「三洋電機は良い会社だった。横の繋がりもあった
 個性を隠していないし伸び伸びとしている感じ。優しかった」

そんな彼女はシリウスで働き女で一つで大学を卒業させました

色々と話して仲間に元気を貰ってました。

空気清浄機を売り込め

東京港区
空気清浄機をヒットさせたい亀井さん

「先輩申し訳ない」

大学時代の先輩がいる会社エイチエムグループへ。
学習塾を全国に展開しているそうです。

「そんな難しいボタンもないし…」

人脈を駆使しての営業活動でした。

1月下旬東邦大学で更なる伝手を

訪ねたのは空気の専門家
三洋電機の大先輩だそうです。

「ウイルスウォッシャーの三洋バージョン作った人」

空気清浄機はしのぎを削る激戦市場。

亀井さん
ウイルスウォッシャー海外進出を計画

しかし問題が。
「海外に行ったらタンクに入れる水。中に入れる綺麗な水がない」
「汚れた水を使うと次亜塩素酸を生成できない可能性がある」

次亜塩素酸を生成できない可能性があるそうです。

そこで空気中から水分を取ろうと思いつきました。
「世界中どこでも水道がなくても空気中から保水してここにおさめたい」

それを聴いた教授

「冬場の太平洋側は乾燥するカラカラの所だと空気から水を集められない」

亀井さん
「ただやってみないと分からない」

元経営企画部の今

元社員が考える経営の仕方
一発逆転を狙おうというのがあった
巨額投資など全部経営判断ミスだから…

経営を間近で見ていた元経営企画部の鎌谷さん。
東大出身で30代で経営再建のメンバーに。

「最後は会社がなくなってしまったわけだから失敗だった」
「あのとき違う順番やり方でやっていればもっと違った結果が出た」

と振り返りました。

リーマンショックの後、経営陣からパナソニックにへの売却交渉が出た時にSANYOを去る決断をしたそうです。

今はRIZAPグループにいました。
フィットネスジムやアパレル英会話など74社を運営
しかしM&Aでの拡大戦略が徒となり。

2018年度194億の赤字
2019年度60億の赤字

厳しい状況でした。
そんな中経営本部長として社長に提言するします

「10円単位まで全部見てこの経費は何など…」
社長
「その経費の中には僕のも出てくる例外なく聖域無く」

ジーンズメイト

2017年RIZAPグループが買収した会社ですが、赤字経営が続いています。

そこの倉庫にやってきてライザップの担当者とやりとり
「空っぽの棚が増えている」

自ら出向きコストカットを進めていました。

「この棚も外部からレンタルしていて金額は分かる?」
「1日11日。」
「1ヶ月3000円が湯水のように出ている」

今1500基あって4Fがからっぽになれば。
倉庫の物流費用が1億円削減出来る。

「厳しいときこそ素早く正しい決断が必要。後悔しないためにも」

「三洋にいたときに思っていたことが今日現在に繋がっている
 しょんぼりしないで上向いて前を向いて将来に向かって進んで行きたい」

元三洋マン(人事)の現在

大阪道頓堀に元三洋マンの姿

岡本さん元人事部長
現在は大手回転寿司チェーンくら寿司の広報宣伝IR本部長

三洋電機の人事部長だった当時8000人のリストラに関わりました。

「リストラは麻薬的な物で人を減らしたら固定費が減るので
 そのときの業績は良くなる。
 中期的に見ると会社の体力そのものを奪う
 結構キツかったこのままでいいのかなと」

二度と人事の仕事はしない。
再就職をするときそう決めていた

1月中旬渋谷
二度目の緊急事態宣言が発令される中
くら寿司は渋谷のど真ん中に新しいスタイルの店をオープン
様々な仕掛けがありました。

自動受付機は3Dセンサーが入ってましてタッチしなくても
パネルに触れなくてもいい仕組み。

テーブル番号の紙を受け取り自分で席に
QRコードを読み込めばスマホから注文できます。

一切接触しなくて良いのです。
人手がかからず客にとっては安全安心

コロナ禍にマッチしたサービス

岡本さんはそれを売り込むのが仕事。

岡本さん三洋電機に入社後広報部だったそうで。
入社して早々に売上1兆円を達成。
初の1兆円という記事を書いたそうです。

上り調子の時代景気の良い記事が紙面に。
バブル景気の波に乗りイケイケどんどん。
80年代後半は中国進出を押し進めたそうです。

「パトカーが先導で黒塗りの車が3台で街までいって
 町一番のホテルの泊まった」

勢いがある時も沈みゆくときも全てを見てきました。

「転職するなんて思いも寄らなかった
 駄目だなと思ったら…。
 合理的に辞めるべき事業とか
 情実的なものとか妙な忖度があると歪んでくる」

渋谷の店は若者達で満席

この勢いを持続できるか腕の見せ所
今だからこそどうやって攻めていくのか
広報活動の大切さは今まで以上でした

三洋電機のヒット商品

三洋電機最後のヒット商品
GOPAN(ゴパン)

あぁ懐かしいですねぇ。お米でパンが作れる作れるやつ
三洋電機は画期的だったエネループも生み出しました。
まだ使ってますよ!多分どこかに電池ある。

三洋電機の電池事業は屈指の技術力だった

それを牽引していたのは雨堤さんでした。
今、淡路島にいました

amaz技術コンサルティング合同会社(雨堤さん)

三洋電機を退社後電池の研究所を設立
amaz技術コンサルティング合同会社
そこの代表雨堤さんです。
電池を作り続けて40年。まだまだ現役です。

大学院を卒業後電池の開発現場に。
電機メーカーは携帯電話でしのぎを削っていました。

「一番最初に我々の電池が採用されたPHS
 他社が150~200gだったのに100gを大幅に切った重さだった」

携帯電話の軽量化が求められるなか三洋電池は一人勝ち
雨堤さん達のチームは結果を出してきました。

世界の雨堤と言われ、退社する際パナソニックを始め国内外の多くのメーカーから誘いが

それを全て断ったそうです。

「困っている人がそこそこでも楽になるとか
 プラスになる仕事が残りの人生は半分恩返しできたらいい」

その思いを形にしようと開発を続けているものがありました。
ショッピングモールに来てました

あいにくの寒さです
そこは三洋電機発祥の地でした。今はイオンになってます。
そのSMである実験を行います

試作品はこれまでありそうで無かった物。

スマイルキャリー

買い物カートを楽に運べる機械でした。
何十台も連ねて移動出来ます。
押す力が全くいらないそうです。
電池のパワーも十分で春からの採用が決まりました。

淡路島の高台にあるお寺。
創業者の井植家菩提寺がありました。

「太平洋のかなたに虹の橋を架ける」

という言葉が刻まれていました。

「小さな会社だが世界の人の役に立つ電機メーカーになる」

その志を引き継ぐ雨堤さん
格闘している物がありました。

納得した物が出来ないそうですが直系15cm、重さ6gの小さな電池。

「大手のメーカーはこんな電池は作らない
 絶対儲からないのが目に見えている」

そんな商品でした。
電池を待ちわびる人たちが神戸にあるリハビリの研究所に

事故で右腕を失い義手をはめている男性。
その義手の指先が動いていました

義手の指先が動いています。

筋電義手

筋肉が力を入れるときに出る電気信号で指などを動かすことが出来るもの

しかし筋電義手には問題がありました。

所長の陳さん
「バッテリーはかなり分厚い
 これを腕の横の埋め込まないと行けない
 腕が太くなり外観的に良く無い」

見た目は腕を切断したときの最初のハードル
見られるのを気にします。
理想の形の義肢を作るには小さくてパワフルな電池が必要です。

「そういう発想があっても作ってくれる人がいない
 腕がスリムになり女性にも子供にも良い
 雨堤さんにお願いしたいのは軽量で薄く長持ちする
 非常にハードルが高い電池」

そのハードルが高い程、技術者魂が燃え上がりおます。

「三洋時代から変わらない。完成というのは中々無い
 ある程度での完成はあるが終わりがない」

東京のイベント会場で待ち合わせしたのはシリウスの社長亀井さん
三洋電機を辞めてからも力を合わせて協力してきたそうです

今回は雨堤さんが亀井差案を頼ってました

新たな空気清浄機

亀井さんが世界展開を目論む空気清浄機の実験結果は

除湿機で昨日8時間ためた水
空気中から集めた水と塩で次亜塩素酸を生成します。

出来上がった次亜塩素酸
酸性濃度を測定します。合格は8以下ですが…

ph5とか6

無事クリアです。
三洋の技術を受け継いだ製品で再び世界を目指します

「コロナで皆崖っぷちを経験している
 崖っぷちのまま落ちて行く人もいるけど何とかしなきゃ行けない」

「一人じゃ何も出来ない。皆集まったら出来る」

この春入社する高校生の姿もありました。
案内が行われていました。

まとめ

会社が消えて10年
皆それぞれ自分が決めた人生を歩んできた

「皆方々に散らばって輪が大きくなった」
「創業者の出身地にいるし不思議な感じが、いまでもする」
「結果を出そうと藻掻き続ける限り三洋電機は存在している」
「三洋電機のDNAを背負って頑張ろうじゃないけど、やっぱりがんばろうと」

再開も束の間それぞれの場所へと戻ってました。

亀井さん
「もしかしたら亡くなってない
 皆三洋電機の人が頑張ってる」

と、締めくくられてました。

三洋電機は昔は色々お世話になったっけなぁ。
この方々は恵まれてる人たち。
それ以外の人たちの苦しみはどうだったんだろう…
そこら辺が気になりました





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