ガイアの夜明け 感想

『”昭和の横丁”大作戦』【今日の「ガイアの夜明け」感想】

今日のガイアを3行で

  • 昭和の横丁の新造と生き残りについて
  • 歌舞伎町に新たな横丁が出来ました
  • 古い横丁は生き残る道を探していました。

※この記事はガイアの夜明けを見ながら自分のメモ書き的な感じで書いている記事です。放送内容を引用してます

横丁

お洒落な街と知られている恵比寿
活気を取り戻したスポットがありました

恵比寿横丁

引き戸を開けると懐かしい感じが。
横丁をイメージした飲食店街です。
2008年にオープン
知らない人たちと出会えて仲良くなれば酒が飲めたり初対面でも仲良くなれる場所として人気があるようです。

コロナ明けを待ちかねていたかのように大勢で賑わっています。
外国人にも人気のようです。

かつてはシャッター通りでしたが横丁に再生
恵比寿の名所に

各地の横丁は闇市がルーツでした。
しかし時代の流れと共に触れあいの場となり懐かしい場所になりました。
ただ消えていった物も少なくありません。

生き残りを賭けて動き出した横丁がありました
渋谷のんべえ横丁

歌舞伎町には進化形横丁が作られていました
その舞台裏にも迫っていました。

東急歌舞伎町タワー

1月中旬の歌舞伎町
東急グループが開発する東急歌舞伎町タワーのオープンが3ヶ月後に

1棟まるごとエンターテインメントのビルです。

ホテル、劇場、ゲームセンター、映画館、ライブハウスなどが入ります。
タワーの2階には横丁をイメージした飲食店街もできます。

内装も終わり運営会社へ引き渡されました

浜倉的商店製作所の浜倉さん

早速チェックして修正点をズバズバ指摘してました。

客に横丁の雰囲気に浸って貰うというのがポイントでそれにそぐわない場所を指摘していました。

浜倉さんは歌舞伎町に縁のない人も呼び込もうとしていました。

歌舞伎町は集まる場所がない
たまれる場所、広場、待ち合わせる場所…何かを作れば人の流れが変わると思う


居酒屋業界の風雲児と呼ばれる人

13年前にも取材
当時手がけ始めていた古き良き横丁スタイルの飲食店街が話題になっていたそうです。
私はそれを見てませんが、この人知ってるなぁと思ったらがっちりマンデーで見てました。


儲かる「昭和ビジネス」【がっちりマンデー感想】(2018/02/04)

記事残してましたね。
新宿カブキhallが目指すのは…

祭の感覚で日本人が子どもが来ても楽しいし
年寄りが来ても懐かしい

浜倉さんが最初に作ったのが恵比寿横丁
50mの路地に19の店が軒を連ねます。
他にも渋谷新宿上野などに横丁は10以上あるようです。

中には香港の路地のような横丁も

浜倉ワールドのファンにはアーティスト村上氏もいました。

魯山人も器が料理の半分といっていた。
空間も料理の半分。浜倉さんの空間で食べる物は美味しい
希有なクリエイター。天才だと思う

浜倉的商店製作所

有楽町に浜倉氏の拠点があります。
浜倉的商店製作所
2008年創業。社員210人。
浜倉さんは日本居酒屋協会の名誉会長だそうです。

横須賀生まれ京都育ち
父は不動産業営んでいたそうですが倒産
餃子の王将でバイトを開始。
高校卒業後飲食業界へ
高級レストランの店舗開発などに従事していましたが41歳で独立。

横丁スタイルの訳

綺麗な店ばかり作っていた
飽きてきたときにはコミュニティーなる場所に行っていた
どんどんあたらしものができてきたが横丁の文化は残さないとと自分がやった方が良いと思い勝手にやった

渋谷の飲食店街も浜倉さんが出店依頼を受けてプロデュース

2020年オープンしたのが渋谷横丁。
19店舗が建ち並びます。

そこでテキパキと仕事をする人がやってきました。
居酒屋で働くのはこの日が初めてな山田さん
高級レストランで支配人などを務めた経験を持っています。
執行役員として接客教育も担当したことが。

早速気になることが

忙しさもあって後片付けが滞ってました。
店員同士の連携が悪かったため料理を頼んだ客の位置も分からずうろうろ
浜倉的商店製作所は接客マニュアル無し制服なしという自由な雰囲気。
横丁らしい自然な接客を売りにしたかったが…

客からは酷評されていました。
混むのは良いけど店員のオペレーション出来てないなど。

来て貰っているのに不機嫌にさせてしまったり
やってはいけないことが多々出て来ている。改善しなければならない

そこで接客見直しのため山田さんをスカウト。
接客教育の責任者としました。

浜倉さんが恵比寿横丁へやってきました
集まっていたのは山田さんをはじめ各セクションリーダー4名の激励会でした

恵比寿横丁は盛況

通路や座席間隔は敢えて狭くしている

通れなかったりすると客同士がすみませんと言いながら通り過ぎたりなのでしゃべりやすくなるそうです。

横丁は雰囲気作りが肝

入ってやばっと思う店は中の人もやばい
山田さんみたいな超タフなちょっとおかしい
そういう人が近くにいて伝えて欲しい
新卒の子達にも伝えていってほしい

オープン10日前
横丁スタッフが集まりました
本格的な接客トレーニングを始めていました。
お揃いのユニフォームを作成していました。
スタッフが交代で客役となりトレーニングしてました。
細やかな気配りもチェック

山田氏もプロです。
褒めまくってから本題を伝えて改善してもらっていました。

3月3日
新宿龍の都飲食街
浜倉氏が独特ファッションでやってきました。

敢えて派手な服を着ることで見られるのを意識して背筋を伸ばしているそうです。

何しにきたかと思えば新メニュー試食会でした。
オフィスでは無く客と同じ場所で食べて評価するのが浜倉流だそうです。

色々駄目出しする浜倉氏

駄目出しされたのは新メニュー開発の伊藤さん
浜倉社長からヘルシーな子羊で酒の進むメニュー開発を命じられていた

横丁オープンで作るメニューは20品
自信作がラムの麻婆豆腐でしたが…これも駄目でした。

まだ出来ると思っているので社長も
僕もまだこれでは終われない

伊藤さんは実家は中華料理店
跡を継ぐため高級ホテルなどで修行
しかし実家は景気悪化で店を閉めてしまった
浜倉さんの会社に入ったのは4年前
社長とはいつも真剣勝負だそうです。

全否定されたラムの角煮風
ラムで作る意味がないと言われた麻婆豆腐
などをしっかりと改良していました。

数日後
社長が来て再度試食会
リベンジなるか

ラムの麻婆豆腐
「こっちの方が良いと思う」

ラムの角煮風も合格。

どちらも厳しい審査を突破したようでした。

東急歌舞伎町タワー

接客と料理が進むなか店舗の内装も進んでました。
電飾を点灯し仕上がり具合をチェック
フロア面積1000平米テニスコート5面分だそうです。

日本各地の名物を提供する10個の飲食店が入ります。
意図した通りできているかを確認

図面だけでは分からない
常に客が通ったり座っている状況で
そういう目線で現場でしか分からない事を確認する

細部まで徹底して拘っていました。
浜倉さんの思いがありました

ここから発信していく物でどんどん街が変わって行けば
何かの切っ掛けになる場所ではないかなと

日本は元より世界有数の繁華街歌舞伎町
風俗店も多い独特の雰囲気があるエリアです。

イメージは?

夜の街、危なそうなイメージ

新しい横丁を切っ掛けに寄り多くの人が楽しめる街にしたいと考えていました

街が変わっていって1つの文化がまた始まっていく方がやり甲斐がないですか?
そこにやりがいを感じる
従来の歌舞伎町のイメージを覆し多くの人を呼び込みたい

浜倉さんの願いは叶うのか?

渋谷のんべい横丁の復活

新宿西口思い出横丁
新宿西口からすぐ
東急歌舞伎町タワーから歩いて5分ほど
思い出横丁の始まりは終戦直後の露天商マーケット
歴史ある横丁の魅力を探ります

16時でも外国人が沢山いました。
16:30~17:00に店が開く

もつやき、焼き鳥を中心として80店舗が連なります。

外国人観光客が戻ってきてました
SNSで広まり日本観光の穴場になってるそうです。

横丁の魅力は?

年齢・性別・仕事とか関係無くその場の空間で楽しみましょうみたいなのが他の飲食店とは違う。
距離の取り方が魅力

深入りしないというのが魅力だそうです
常連がここの文化とのこと。

女性が安心して来られるような街作りを

渋谷のんべい横丁

映画のセットのような横丁
昭和で時間が止まっている
味のある看板に惹かれて覗いてみると。
中にいる人が皆談笑してました

フランス人留学生もいました。

本当に最高です
こういう雰囲気には昔から憧れていた

古き良き風情が残る渋谷のんべい横丁

存続の危機と背中合わせでした。
のんべい横丁は渋谷駅前一等地
いつ再開発始まってもおかしく無いのです。
更に店主の多くが高齢化して店も老朽化

のんべい横丁にある会津の店主は御厨さん
本業は空間プロデューサーです。
万博などの大きなイベントなどの映像やパフォーマンスを手がけてます。
名物女将が引退する時常連するとき御厨さんが引き継ぎました。

自分が長く行っていた店だったのでそのままの姿でいて欲しい
横丁がなくなったら勿体ないという気持ちになっていた

東京吉祥寺に活気溢れる横丁がありました。
ハーモニカ横丁

横丁生き残りのヒントを求めて御厨氏がリサーチしてました。
今風のモダンな店が目に付きます。
若い客も多い模様です。

モダンな店はそれはそれでいい
根付いてそこに定着すれば良い

ハーモニカ横丁は100の店が軒を連ねます
名前の由来を横丁の長老に聞くとハーモニカの吹き口のような店構えだった
それからハーモニカ横丁というのが始まったそうです。

賑わいを見せるハーモニカ横丁渋谷のんべい横丁の御厨さんがリサーチに

横丁の奥にいくと怪しいおっさんがいました
待ち合わせたのは手塚さん
ハーモニカ横丁で12件を運営しているそうです。
お洒落な店を建て続けにオープン
若者呼ぶ切っ掛けの一つになり街の活性化になりました。

国立競技場を作った隈研吾氏に頼んだ店もあるようです。

昔ながらとモダンの共存
横丁存続の1つの形でした、。

リサーチは続きます。

東京港区神谷町
カナダケベック州の出先機関に赴きました

ケベック州は古い街並みを活かして文化娯楽を軸に街作りをしている
そこに新たなエンタメを組み合わせて多くの人を呼び込んでます。
本業で訪れたことのある御厨さん
ヒントにしたいと考えてました

ケベック州の方とどう連携できるか検討したいと話してました。

御厨さん
どのように横丁の存続をするか

横丁が残れる街。
古き良きが残り新しい物と共存できる街作り
バンと切って新しい物を作るのでは無くそう言う物が残れる街作りを提案できるスタンスで…

東急歌舞伎町タワーオープン

新宿歌舞伎町の新しい横丁
オープン10日前
2階部分を見せて貰える事に

新宿カブキhall~カブキ横丁~

異国に来たような雰囲気とのこと。
あちこちに遊び心や拘りがありました。

どんな人に来て貰いたい?

新宿に行きづらくて行きたくないという人も全国から来て貰いたい

4月14日オープン
横丁イメージのホールがオープン

練習の成果を発揮できるか?

掛け声はピッタリでした。
店員同士の連携も上々

料理長伊藤さんの料理も喜んで食べてもらえてました。
そして歌舞伎町に縁の無い人たちも来てくれました
気軽にこれるなんて意見もありおました。

新しい横丁を目指した浜倉さん賑わいを見て思う事が

歌舞伎町という街の回りにも横丁がある
次の世代の人がここから少しでも流れてくれたら少しでも届けられたらと

街が変わって行きますと締めくくられていました

感想・まとめ

私はあまり興味のない分野なのでさらっと見てましたけど。
歌舞伎町のやつは横丁というのかなんか違う気がしました。
あれはあれで面白いんでしょうけど。

古い横丁が生き残れるのか…。

新しきに潰されそうな。根本的な解決になっていない気もしますし。
なんだかなぁと思いながら見てました。
残すのと新しく作るのと相反する何かを見た気がしました。

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